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2006年8月 9日 (水)

ホーチミン市3日目:まだまだ元気です

 午前中は、エースコック=ベトナム社の浪江社長と新規事業担当の梶原さんを訪問した。いろいろ情報交換をした後に、ラオス清掃ボランティア活動の支援をしていただくことになった。すでに4回目になる活動は、ラオス国立大学経済経営学部の大学生や日本センターで日本語を学ぶ学生と一緒に、ラオスの小学校や中学校を訪問し、児童や生徒達と校舎を清掃するという内容である。この子とも達に同社の即席ラーメンを配布していただけることになった。

 このような支援は、2年前から続けていただいているが、それまではベトナムからラオスへのラーメン箱の搬入が大変な手間と費用であった。それが今度は、すでに同社の製品をラオスに輸出していて、ラオスの代理店から直接に小学校や中学校に届けていただけることになった。同社のラオス輸出は好調であり、ラオス向けの新製品を発売するので、その宣伝もしたいということであった。このように相互に利益のあることは、まさにWIN-WIN戦略の実践である。同社と浪江社長のご厚意に深く感謝を申し上げたい。

 その後にホーチミン市商工会議所のフン副所長に面会した。もう彼とは10年以上のつき合いになる。以前から紹介している私の拙著には、私自身のベトナムの思い出を書いた部分があるが、その中にフンさんのことを書き忘れた。このように不備や不十分さが多々ある文字通りの拙著である。こういう場合、公刊したらしかたがない。その後は、次のことを考える。このように気持ちを切り替えよう。

 午後は、マーケティング大学学長であったクエ先生にお目にかかった。クエ先生は、今年の1月に同大学を退職され、現在は、ベトナムのマーケティング協会の副会長で事務局長という以前からの肩書きだけになられている。

 クエ先生との出会いは、笹川平和財団のベトナム高等教育支援の仕事をしたときであるから、1996年。ちょうど10年前ということになる。それ以来、流通科学大学も訪問された。先生を私が存じあげてから、先生は短期大学を大学に昇格されたし、マーケティングの事例研究の著書も出版された。さらにベトナムでマーケティング協会を創設された。私の知る限り、このような功績を残されたと思う。日本語であるが、そのご苦労に敬意を表したいと思う。新しい学長には、副学長であったミー先生が就任されたそうである。ミー新学長も以前から存じ上げているから、今後も同大学との交流を発展させたいと思う。クエ先生、ご苦労さまでした。

 ホーチミン日本商工会事務局の諏訪さんにもお目にかかった。板東あけみさんの「母子健康手帳シンポジュウム」の協力をお願いするためである。親切に対応していただいて感謝を申し上げたい。諏訪さんとは、共通の知人・先輩である松下電器の前ベトナム社長であった藤井さんの話で盛り上がった。藤井さんは、現在はハノイのカトーレック社長をされているが、7月にお目にかかったばかりであり、その近況をご紹介した。初対面の女性である諏訪さんと親しくお話しできたのは、すべて藤井さんの人徳である。

 さて次は、どこを訪問しようか。通訳と助手を兼ねてくれている大学院生フンさんと相談して、「フォー24」社に電話した。フンさんが、「フォー24」の店を日本で展開したら、儲かると思うと言うので、それなら電話してみなさいと私が指示したのである。お金は、ビジネスのアイデアが良ければ、後から付いてくると、自信ありげに言ったのだが、内心は不安であった。そうはいうものの、何と言っても不肖私は「ベンチャー起業論」を先日まで講義していたのである。

 この「フォー24」は、ベトナムの代表的な庶民料理である「フォー」(お米をつかった麺のベトナム風うどん)のチェーン店である。クリントン大統領や小泉首相も、フォーを食べるために訪問したほどに、清潔感ある近代的な店作りである。このチェーン店を日本で展開することは、その新奇さだけでも注目されると思うが、ともかく味がよい。余り人気のない経営不振の日本のラーメン店が、「フォー24」のチェーン店に加盟すれば、出店コストも低く抑えられるであろう。ベトナムで私は毎日フォーを朝食で食べているが、それでも飽きない。日本人の味覚に合う。

 せっかく電話したのだが、残念ながら、すでに日本には出店契約をしているので、面会しませんと言われた。もっと私がベトナム語に堪能なら、それはそれとして、話だけでも聞かせてほしいと粘るのだが、残念であった。ともかく、この「フォー24」の日本出店は間違いないことが確認できた。

 ところで、もっとベトナム語を勉強するという話で言えば、今日の朝食で米国ダートマス大学の歴史の助教授であるミラー先生と話した。彼は「シンチャオ」と話すので、私が国はどこですかと質問して、その後にベトナム語での会話が弾んだ。私のベトナム語の限界が来ると、次に英語での話に切り替わり、その後に私の英語での会話の限界が来ると、お先に失礼と私は退散することにした。彼の研究テーマは「ベトナム戦争」であり、南ベトナム政府の崩壊の経緯について調査に来ているそうである。

 米国には、1ヶ月~2ヶ月でベトナム語を習得するための集中研修コースがあると聞いている。こういうことが、いかにも米国らしい。その意味は、必要があれば、集中して徹底してやるということである。本当に時間があれば、こういうコースに私も参加したいと思う。いつも本気でベトナム語を勉強しようと思うのだが、日本で時間がない。またベトナムに来れば、ベトナムの仕事をしてしまう。そこでベトナム語を学ぶために米国留学する。これを今後の計画の中に入れておこうと思う。

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