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2006年8月31日 (木)

ラオス縫製企業は意外と健闘するかも:低賃金が強み

 8月31日、最初にラオス縫製企業を訪問し、次にSTEA(科学技術環境庁)と同庁の青年同盟を訪問した。午後は、訪問予定の会社社長がタイに出張ということで、訪問がキャンセルとなった。同行してくれたトンバン先生と昼食を一緒して再会を約束した。

Dsc08550  なお、この青年同盟とは、日本で言えば、「自民党青年部」と「ボーイまたはガールスカウト」を合わせたようなものであろうか。自発的に清掃などボランティア活動を実施しており、われわれ日本人学生の清掃ボランティア活動の対応機関である。

 日本人の参加は女子学生7名。男子学生が不在。神戸市外国語大学・兵庫大学・流通科学大学の3回生・4回生が中心である。今回で4回目になる活動は初めて学生が主体になる。私は参加しない。これは画期的だろう。普通は、旅行会社や引率教員が主体となり、その決められた枠組みの中で学生が動いて、それなりにボランティア活動したような気分になる。学生だけのグループが自分で考えて海外ボランティアするとは寡聞である。私は事前の準備として、できる限りのことをしたと思っているが、ともかく教員としては心配である。しかしすでに2回目参加した学生が2名おり、さらに1年間かけて世界旅行した学生も加わる。これだけの戦力があれば、何かの障害があっても乗り越えてくれるだろうと私は判断している。参加学生の勇気と努力に敬意を表したい。また、その大きな成長が楽しみである。

 さて、訪問先の縫製企業 LAO GARMENT会社は民間株式企業であり、資本金90万Dsc08542 ドル。従業員1600人の2交代制。昨年の年間売り上げは600万ドル。100%が輸出。主な輸出先はEUが95%。国内市場からの調達はダンボールくらいで原材料100%が輸入。典型的なCMT(Cut, Make Trim)生産の企業である。

 ここで注目すべきは、その賃金である。月額平均291200キップ。30ドル弱である。これはベトナムの半分以下。カンボジアの約4分の3と考えてよい。カンボジアでは残業代をいれると月額70ドルになるし、さらに複数の労働組合の存在も経営者としては悩ましい問題となる。ラオスの圧倒的な低賃金は、労働集約的な企業にとって最大の魅力である。

 大阪市が本社のシャツメーカー山喜がビエンチャンで今年から生産を開始しているが、その経営者はタイ人と言われている。同様の日本進出企業は多い。いわゆる「タイの衛星工場」として、つまりタイ進出企業の出先としてラオスに進出する。ラオス人はタイ語を理解できるので、タイ工場で経験を積んだタイ人のマネジャーを送り込めば、日本人の駐在費用も節約できる。ラオスにおける将来の縫製企業の進路はともかくとして、その低い労働コストは考慮されてよい。

 問題点は、内陸国で港湾をもたないので、輸送コストが割高ということである。しかしビエンチャンから友好橋を渡ってバンコクまで1日である。20㍍のコンテナーで出荷。この高い輸送コストも、南部サバナケットに工場立地するとすれば、来年完成予定の「東西経済回廊」を利用してバンコクやダナンとより容易に結ばれる。

 品質管理についても「5S」の知識をもっているが、一般の労働者には徹底できていないようである。しかし筆者の印象では、工場内には通路のためのテープが貼られており、きれいに清掃もされていた。外国企業との取引を継続するのだから、そういった基本・標準は達成されているとみなされる。ISOの取得などは、これからの課題である。

 縫製について熟練するまでに3年かかると言われている。さらに熟練工の中でも、作業速度の遅速が国によって違うと言われている。日本企業の生産性向上の追究は、そういった秒単位までの徹底されている。おそらくラオス人に言わせれば、「なぜ、そこまでする必要があるの?」ということだろう。しかし、そういった極限まで追究する努力の中から、新しい「カイゼン」の提案が生まれるのかもしれない。いいかげんな気持ちでは、いいかげんな結果しか導かれないのは当然である。このように考えれば、これまでの日本の「もの作り」のプロフェショナルが日本経済を牽引してきたのである。

 ラオスは人口が少なく、内陸国で港湾がない。他方、日本は天然資源が乏しい。ラオスの方が鉱物資源・森林資源は豊富である。これらは所与の条件である。それを日本人は克服して経済成長してきた。同じ人間としてラオス人にできないはずがない。

 今から、いくつかの仕事が待っているホーチミン市に戻る。喧噪と排気ガス。静寂のラオスに来て、この大都会が妙に恋しくなる。ラオスバージョンから、ベトナムバージョンに切り替えて、インドシナ3カ国1ヶ月間のエンディングを満足をもって迎えたい。

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2006年8月30日 (水)

ビエンチャンでも進む大気汚染:ツゥクツゥクで走る市内

 昨日の夕食は、「焼き肉食べ放題」のTaeという店。ラオス国立大学のトンバン先生家族の招待である。また昨年の年末には立派な自宅で昼食をご馳走になった。他方、彼が流通科学大学に来た時には、我が家にも招待したことがある。一緒に食事するということは友好を深めるために世界共通した手段だ。

Dsc08521  このレストラン。山のような焼き肉を食べて、ビールを飲んで1人で500円ほど。少し酔っぱらった後には、生演奏を背景にしてラオダンス(ランボーダンス)を楽しむ。この調査旅行中、ドーソン海水浴に匹敵する楽しさであった。

 今日は朝から、広島修道大学の豊田先生とお話しした。情報交換である。2001年当時、先に赴任されていたJICA専門家として、ご指導を賜った。私は、ラオス・ベトナム・カンボジアと「浮気症」だが、豊田先生はラオス一筋である。その後は、国際協力NGOであるIVーJAPANの富永幸子さんにお目にかかった。

 富永さんは、ラオス人のために職業訓練センターを運営されており、日本料理や美容院の技術指導の機会を若いラオス人に対して提供されている。ボランティア活動について尊敬できる先輩といえば、私の知る限り、ベトナムでは板東さん、ラオスでは富永さんである。富永さんは、英語・タイ語・ラオス語を駆使される民間外交官の役割も果たされている。日本大使館やJICAがラオスに多大に貢献しているが、個々の職員は3年~5年で転勤。これに対して富永さんの10年以上の活動実績は高く評価されている。それを反映して、JICAからの活動資金も受給されている。

 その後、科学技術環境庁(STEA)に連絡したが、これまでの清掃ボランティア活動の担当者は、ほとんどが海外出張などで多忙。何とかテラバクさんに電話ができて、明日に訪問することにした。明日は、縫製企業2社を訪問予定であるから、かなり多忙である。

 夜は、ラオ繊維博物館で夕食である。高級シルク店「カンチャナ」オーナーのハンサナさんの招待。ラオスに来て、この博物館での優雅な夕食は最高の楽しみ。これまでにダイエー創業者の中内功や、女優の三林京子さんもお連れした。ここで奥様の作られる「ビーフジャーキー」は絶品。「美味しい」というと、必ず「日本に持って帰るか?」と質問される。普通は遠慮するのだが、思わず「はい」。さらにキノコを漬け込んだ焼酎(ラオラオ)も逸品。これらは何者にも代え難い「ラオスの宝」である。この博物館に11月にドイツ人が100名ほど来て見学と夕食をするそうである。ここには歴代の日本大使も私的に来館している。この密かな楽しみであったラオス最高の「博物館レストラン」も次第に有名にDsc08538 なってきた。

 ラオ繊維博物館の夕食には日本大使館の小野寺さんをお誘いした。タイの日本大使館からラオスに来られて1ヶ月ほど。ハンサナさん家族を通してラオス文化の奥行きを感じていただけたらと思った。100年以上も前の繊維製品も所蔵されており、その価値は、まさに文化遺産である。昨年度は、フォード自動車から助成金を同博物館は受給した。本年度も申請したそうだが、われわれの「清掃ボランティア活動」もフォードに助成金を申請中である。ハンサナさんは来週に韓国を訪問し、ソウルの国立博物館で講演をされるそうだ。世界的な活躍である。

 今日の移動は、ツゥクツゥクであった。オートバイが引っ張る乗り合い車である。ラオスでは、これが通常の交通手段である。それにしても、ビエンチャン市内もベトナムと同様に空気が悪くなってきたようだ。ガソリン臭が身体に染みつく感じがする。大気汚染の問題は世界共通である。近い将来、公共交通手段の導入が早急の課題となるだろう。

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2006年8月29日 (火)

ラオスWTO加盟交渉担当者と面会:すごい人材がいる

 日本大使館・フォード自動車販売会社・商業省を訪問した。それぞれの面会では大きな収穫があって、充実した日であった。もう少し時間があれば、縫製企業を訪問できるのだが、なかなか限られた日程では難しいようだ。ラオスでは、カンボジアほど官公庁の力は強くない。カンボジアでは商業省の公式の紹介状があれば、かなりの影響力であるが、ラオスはそうはいかないようだ。

Dsc08516  在ラオス日本大使館は増築工事中。ハザマが施工。書記官の小野寺さんに親切に対応していただいた。フォードは、ラオスでも着実にシェアを伸ばしている。しかしトヨタのブランド力は圧倒的である。そこで「フォードのトラックを買えば、ホンダのバイクが付いてくる」という販売促進をしている。これは、おそらく10%程度の値引きに相当する。ホンダのバイクが欲しいから、それならフォードに決めようというラオス人がいるということだ。

 フォード自動車は、ラオスの自然環境保護について助成金を給付しており、年間総額2万ドルの予算がある。われわれの「ラオス清掃ボランティア活動」も申請予定である。担当のラオス人はマーケティングアシスタントという肩書きで、好意的に対応してもらった。

 商業省では、日本でお目にかかったキエムさんに連絡し、その上司を紹介するということで、ビラボンさんに話を聞いた。キエムさんは外務省経済局の勤務だと記憶していたが、最近に商業省に移籍した。驚いたことに、上司のビラボンさんは、まだ独身の30歳前半の好青年である。最初、私は助手かと思ったほどだ。オーストラリアで勉強して、ジュネーブでのWTO交渉の最前線で働いているという。肩書きは、Acting Director, Foreign Trade Dept. 両者を見ていると、年配のキエムさんをビラバンさんは立てながら、かつキエムさんもビラバンさんを尊重している雰囲気だ。流ちょうな英語と明確な論旨での話は、なるほどこれなら世界とも交渉できると想像できるほどの人物である。ラオスに人材は確実に育っている。

 WTO加盟には一般的な意義があるが、特に米国との経済関係の改善が期待できるという。日本やEUを含む先進国の中で米国だけがGSP(特恵関税制度)をラオスに適用していない。2010年にWTO加盟という噂が流れたが、それは「moving target 」という説明。なるほどと思う。現在ラオスは、WTO加盟に向けて「統合枠組み」を作成中であり、そのために各省庁が必要リストを作成しているそうである。

 ベトナム人に比べてラオス人はのんびりしていると言われるが、ラオスにもビラバンさんのような優秀な人材が育っていると感じた。また前述のように、年齢に関係のない人材抜擢と、それを容認する風土がラオスにあるとすれば、それはラオスにとって優位性になる。ベトナムとラオスは同じ東南アジアの国であるが、ベトナムは儒教の影響を依然として受けている。これに対してラオスには、そのようなこだわりがないのかもしれない。これは仮説であって、もう少し検討する必要がある。 

 

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2006年8月28日 (月)

やはり5☆ホテルは快適:新しい携帯電話番号が決まる

 朝かDsc08506らラオス国立大学経済経営学部のトンバン先生を訪問。その後、「ラオ日本センター」の鈴木所長・増田さん・花園さんにお目にかかり、9月17日から始まる「ラオス日本清掃ボランティア活動」のためのお願いをした。この活動の準備は進行中なので、まとめて紹介する。なお経済経営学部では、神戸大学大学院国際協力研究科の仁科教授とお話しした。かつて最初に私が在室した部屋である。なつかしい思いがする。

 写真は、学生の卒業論文である。製本されて図書館に保管される。ちょうどトンバン先生の机の上に置いてあった。1名から3名までのグループ執筆もできる。それぞれの論文執筆者に発表と面接をするそうだ。なかなか厳しい制度である。先週の金曜日に卒業式があり、ラオス国立大学全体で3464名の卒業生。最も人気のある学部は外国語が学べる文学部で593名、経済経営学部はそれに次いで410名である。

 携帯電話の新しいSIMカードを購入。 新しいラオスの番号は、020-787-0210 このカードは5ドルであるが、末尾の番号が0333といった番号は最大20ドルで販売されている。おそらくラオス語で「語呂の良い番号」というのがあるのだろう。

 携帯電話を買うと、何か仕事の武器を手に入れたような気分になる。日本では、こんな気分にならない。おそらく携帯電話を頻繁に使うような仕事を日本でしていないからである。企業訪問や知人との面会など日本では考えられない密度の仕事を海外でこなしている。疲れるのも当然だ。日頃やっていないことをやるのだから。他方、それだからこそ面白いという側面もある。

 昨夜は、よく眠った。朝起きたのは8時を過ぎていた。やはり大きな部屋の快適な環境は疲れが取れる。またラオプラザは長期滞在したなじみのホテル。安心感がある。かつて室内はカーペットと記憶しているが、フローリングになっている。廊下のカーペットも分厚くなった。ビエンチャン市内もホテルが増えているから、サービスや施設の改善は不可欠ということだ。また従業員の移動も多くなる。しかしラオスといえば、やはりラオプラザが一番だ。

 明日からの仕事の準備をした。しかし無理しない。ラオスではラオスの仕事のやり方がある。慣れるまでに時間がかかる。商業省・縫製協会・商工会議所・縫製企業など訪問先を絞り込もうと思う。

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2006年8月27日 (日)

ハノイからビエンチャンに移動:再び偶然の出会い

 ビエンチャンのワッタイ空港では、ラオス国立大学の経済経営学部のソムチット副学部長とプーペット講師に会った。神戸大学から広島修道大学に移られた豊田教授の到着を待っているという。豊田先生はバンコクから、私はハノイからほぼ同時刻に空港に着く。

 豊田先生はルアンプラバーンに乗り継がれるそうなので、ご挨拶しようとしばらく待っていたが、ホテル送迎車の出発もあるのでラオプラザホテルに向かった。明後日にお目にかかれると思う。ラオプラザホテルの従業員の何人かは私のことを覚えていてくれて嬉しい。このホテルで2001年にJICA専門家として4ヶ月間生活したのだ。

 その後は室内で日越経済交流ニュースの原稿を書いた。なお、ここでも携帯電話は有効期限が切れたようだ。カンボジアでは2ヶ月間の使用がなければ、使用期間が切れてしまう。ラオスも同様である。4ヶ月間の有効期限。新しいSIMカードを買って、新しい番号になる。長く使用できるのはベトナムだけのようだ。

 ハンサナさんに会うためにカンチャナのお店を訪問。奥さんと話した。ハンサナさんは博物館に行っているそうだ。毎度のことながらラオス料理の夕食を食べようと誘っていただいた。辞退したのだが、家族と同じだから、みんなで話をしながら食べるのは楽しいと言われた。確かにそうだ。だからラオスに来た。明日から仕事だ。

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2006年8月26日 (土)

ドーソンで遊ぶ;食べて泳いでベトナム流リゾートを楽しむ

 今日の主要な活動は、ドーソンで海水浴である。ハノイからドーソンまで120㎞。ハイフォンまで国道5号線を100㎞走り、そこから右折して海岸に出る。ハノイは雨が降ったが、ハイフォンやドーソンは晴れであった。POEMEの鈴木さんとご一緒である。

Dsc08431  海辺に面したレストランの店頭で生きた魚やカニやエビを選んで調理してもらう。左の写真は「ゲー」。これが「渡りカニ」である。これに対して写真下は「クワ」である。この「卵付きのクワ」は、今回の調査旅行ではホーチミン市の中華街でも食べた。

 その時には最盛期が3月で、それ以降は「子持ち」のカニはないと言われたように記憶しているが、この店では3月~9月がシーズンと説明された。どうも、それが正しいような気Dsc08436 がする。この時期のクワは、大きくて十分に成長したという感じだ。

 新鮮な魚介類を食べた後は、海水浴だ。河口が近くにあるために、海水は濁っている。水はきれいだが、濁っていてはリゾート地としての価値は下がる。

 その海岸から自動車で5分ほど行けば、ドーソンのカジノがある。いわゆるギャンブル場である。外国人しか入場できないと言うことを聞いていたが、閉店を思わせるほどに顧客はいなかった。夕食時に、私のビジネスパートナーと韓国焼き肉を食べた時に、ベトナム人はドーソンのカジノに行く代わりに、株式市場に行っているといった冗談で大笑いした。

 昨日の夕食で神戸肉の焼き肉を食べて以来、今日の昼食は海鮮料理、そして夕食は再び韓国焼き肉。この2日間で十分に栄養補給した。海岸では、ジェットボートの貸し出しをしていた。15分間で20万ドン(約1400円)。ベトナムにしては高いのだが、ベトナム人Dsc08455 も結構、乗り回して楽しんでいた。これは3名ぐらいは一緒に乗れるので、そう考えれば、20万ドンも高くない。私にとってジェットボートの運転は初めてだが、これは簡単で楽しい。日本でもやってみたいと思うが、値段は高いんだろうな。このボートの醍醐味は、急旋回でのボート転覆だ。しかし、さすがにそこまで元気はない。

 夕方に、石川県金沢にある重光商事で働くリンちゃんのお父さんに会った(拙著を参照)。日本で会って以来数年ぶりであったが、お元気そうであった。その後に上記の韓国焼き肉の夕食。日越経済交流センターのソンさんは、4歳のお嬢さんを連れて来られた。なかなか利発で、また驚くほどに食事の箸の使い方が巧みであった。英語を教える保育所に通っているそうである。まだまだお目にかかりたい人がいて、ハノイを離れるのが残念でならない。また次の機会にと思う。

 ちょうど今、「ミスベトナム」のコンテストがニャチャンで行われ、その生中継をTVが放映している。スポンサーは資生堂である。最近に、日本からはメナードもベトナム進出してきた。自動車では既報のようにトヨタの牙城にホンダがシビックで挑戦し、日産は輸入車を投入する。競争の激化が、あらゆる分野で進行する。ミスベトナムのような美人の競争は歓迎されるが、ビジネス競争は過酷である。それがベトナム社会を、良きにつけ悪しきにつけ変化させる動力源になるだろう。

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2006年8月25日 (金)

ベトナム人と日本人:100%ベトナム人の視点をもつことの意義

 今日は、さすがに予定を入れないようにした。働きすぎると倒れてしまう。それでも会いたい人が多数いる。

 午前中にハウさんとITビジネスの話。午後は、昨夜会ったG7マートのヴゥ社長と再び面会。書籍15㎏を日本の自宅に発送。これはホテルまで取りに来てもらった。今から夕食を藤井さん(前松下電器、現カトーレック=ベトナム社長)とご一緒する。明日は、完全休養と思っていたが、朝からベトナム経済新聞社のラムさん、ジャーナリストの鈴木さんと会う。それからPOEMEの鈴木さんとドーソンに海水浴。ハノイに戻って日越経済交流センター・ハノイ駐在代表のソンさんと夕食。

 明日は、おそらくブログを書く時間がない。明後日、早朝にはハノイからビエンチャンに移動である。ビエンチャンにも仕事が待っている。

 今回、ホーチミン市で私は30%ベトナム人と言われた。ハノイでも60%ベトナム人と言われた。ベトナムに関わる人間にとって、これは喜ばしいことである。この「ベトナム人」という意味は、ベトナム語が上手とかいう意味ではなくて、ベトナム人の感覚・気持ちが理解できて、そのように行動しているということだろう。

 日本人とベトナム人は、米国人とベトナム人と違う。日本人が100%ベトナム人になれても、やはり米国人は米国人。100%ベトナム人になれない。こんな話を上記のハウさんとした。ハウさんは拙著で紹介したので説明は省略。現在、イスラエルとのITプロジェクトの責任者である。

 私の拙著では「ベトナム人は関西人に似ている」ということを三井物産の駐在員だった樋口さんの著書を引用して説明した。確かに、日本人は100%ベトナム人になれる可能性はあるが、それには努力が必要だ。現代の日本人がベトナムに来て、そのまま100%ベトナム人になれるはずがない。それよりも米国人で努力する人が、99%ベトナム人になれる可能性はあると思う。

 日本人とベトナム人、日本人と米国人、ベトナム人と米国人。これらの相違は何だろうか。どのようにして、その相違を埋めることができるのだろうか。また、そもそも埋める必要があるのだろうか。いろいろ考えさせられる。解答が即座に出ない問題を考えることは、無意味という考え方もある。しかし、これからはそう言った問題の追究が必要になる。

 それは特に、流通外資企業にとって不可欠である。日本でもカルフールが撤退した。ウォルマートが苦戦している。日本人の消費者意識の理解が必要。日本の流通システムの慣行が障害。いろいろな指摘がなされてきた。いずれにしても、外国人の日本人や日本に対する理解が不足しているという理由が語られる。これと同じことが、いよいよベトナムでも起こる。流通外資企業が参入して、果たしてベトナムで成功するのか。ベトナム人の心理を掴むことができるのか。

 WTO加盟後、ベトナムは大きな変革が待ち受けている。それにベトナム人はどう反応するのか。どのように変化を受け入れるのか。新しいもの好きのベトナム人は、意外と伝統を捨ててしまうのかもしれない。他方、それを守ろうという人々もいるだろう。ベトナム共産党や政府は、その変化にどのように対応し、どのように国民を導こうとするのか。これまでの漸次的な改革路線が、WTO加盟後は通用しなくなるのではないか。これらの国民心理に関する多数の問題を検討することが、今後のベトナム経済や企業経営を考えるポイントになるだろう。

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2006年8月24日 (木)

G7マート・ヴゥ社長から電話があった:過密スケジュールの中を溺れずに泳ぐ

 朝から日本大学教職員組合の皆さんと大宇ホテルでお目にかかり、教職員組合と貿易大学を訪問した。教職員組合の会議では、日本側とベトナム側の接点が難しい。もちろん教職員の地位や待遇を守ることは共通しているが、日本側は経営陣との交渉が主要な任務であるが、ベトナム側は政府方針の徹底がその任務となっている。日本の言葉で言えば、政府の意向を反映・実践する「ご用組合」の役割である。こういう所に政治体制の相違を感じる。

 貿易大学では、日本大学グループから抜け出して前学長モー先生にお目にかかった。モー先生の学長当時は、非常に怖い先生という印象があり、近づきがたい存在。それが今、大変に親しくしていただいて嬉しい。現在は「情報科学センター長」という役職である。モー先生は国際法がご専門。今は、電子決済などの法的な研究が任務である。弊社(合Dsc08276 同会社TET)に関連する質問の答えとして、「日本企業とベトナム企業で取引上の紛争が発生した場合、第3国のシンガポールで仲裁することが一般的である。シンガポールは法律も仲裁も制度がしっかりしている。新しい企業法では、当事者間の契約で決めておけば、そういう紛争解決の手段は何ら問題ない」。なるほど勉強になった。写真は、貿易大学で日本大学教職員組合一行との記念撮影である。ベトナムの教職員組合の新聞にも記事と写真が掲載されるそうである。

 午後は、乳母車などベビー用品の市場をTHUYさんと一緒に調査した。人口が増加す るベトナムでDsc08394ベビー用品市場は有望であり、将来の可能性ある市場である。その後に郊外の新興アパート群を自動車で回り、さらに11月開催予定のAPEC会場の写真を撮った。このアパート群だけを見ると、私の知る限り、シンガポール・韓国・台湾・北京を彷彿させる。ベトナムのイメージは、APEC首脳会議の開催を契機に一新されるだろう。このAPECのための国際会議場は、フランス人のデザイン。大きな波をイメージしていると思われる。まさにベトナム成長・躍進を表現している。この巨大建築を見ていて、オリンピック開催(1988年)前の韓国ソウルのチャムシル付近の様子が想起される。

 夜は、メリアホテルで「G7マート」のヴゥ社長とお目にかかった。コンビニのチェーン展開について日本人専門家を紹介してほしいと言うのである。先方から電話を頂戴したのは光栄である。私は社長に会ったことがなく、どのように会うのか不安だった。そこに以前、商工会議所に勤めていたフォンさんが来たり、一昨日に会ったばかりのニット製造会社のハイ社長も来た。このメリアホテルで「ホンダシビック」の発売展示会があったからである。ハイ社長に「あれがヴゥ社長だ」と教えてもらった。両者に面識はないが、ヴゥ社長は有名人で、だれでも知ってると言うことだった。ハイ社長も同席して、ベトナムでの流通Dsc08403 システムの改革について意見交換した。この面会は、今回のベトナム訪問で最大の出来事であった。

 写真の右がヴゥ社長。それから私、ハイ社長、ハイ社長の友人のソンさん。ほかのベトナム人がソフトドリンクなのに、私だけが生ビールを注文。次第に「ベトナム人化」してきたことが自覚できる。昔のベトナムなら普通のことである。でも正直に言えば、少しビールを飲んだ方が、私の英語とベトナム語は円滑になるのだ。

 日本でダイエー中内功が進めた「流通革命」が、ベトナムで継承されるような印象を私は覚えた。もしそうであれば、その伝承の役割を私が果たすことができるかもしれない。私のベトナム流通システムの理解とヴゥ社長の認識が一致した。WTO加盟後の小売り業における外資流入に対応するためには、ともかくスピードが必要ということであった。だからこぞ、ともかく7月に全国で500店舗のチェーン店をオープンさせた。各店舗の質の改革はこれからの課題。「量から質を変えていく」。これも同意見であった。大量の仕入れによって低価格を実現し、さらに自前の物流センターから各店舗に配送する。これをベトナム人自身が外資に依存せずに国内資本で実行しようとしている。この壮大な構想に感動せざるをえない。

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2006年8月23日 (水)

ハノイから:今日の出来事

 ホテルを代えたので、どうも調子が出ない。近くでコピーはできないし、水やビールも買えない。なじみのセオム(バイクタクシー)もない。何かとやりにくい。そうは言っても仕事だから、いろいろ動かざるをえない。

 1.ハノイゴルフクラブの室賀社長にお会いする。室賀さんの日本の自宅は私のご近所。またライオンズクラブの会員同志である。今年6月にオープン予定が、9月初旬に延Dsc07287 期された。予定通りに行かないのがベトナムである。しかしゴルフコースの出来は最高という説明。全18コース完成後の9月には、毎日放送の「MBSゴルフサーキット」の取材で青木アナウンサーらが、このハノイゴルフ場でプレーするそうである。同社には、ゴルフ場完成後もハノイ周辺の開発事業を進める計画がある。また、知人の福森さんが次の著書を書かれたと教えていただいた。福森哲也『日本人が知らなかったベトナム株』翔泳社、2006年8月28日。いよいよベトナム株式が、中国株式に続いて注目されてきた。

 2.ベトナム縫製業の総会社であるVINATEX社・計画投資部の副部長ソンさんに話を伺った。WTO加盟後の中国に対しては品質で勝負という話をされた。インド留学をされていて流ちょうな英語。お嬢さんは貿易大学で日本語を学ばれている。「お父さんも日本語を勉強しなさい」と娘から言われていると照れ笑いされた。ベトナム人の家族思いは日本人に想像もできない。娘自慢、息子自慢を聞かされる。でも自慢できるのだから、それは率直に言って立派なことである。

 3.貿易大学タム先生・VJCC橋本所長にお目にかかった。タム先生とは明日の日本大学教職員組合30名の皆さんの組合交流・大学交流の最終の打ち合わせをした。貿易大学からはチャウ学長とクウイ副学長が出席され、それは異例の対応ということである。何と言っても、教職員だけで8千人を擁する日本最大の大学である。またVJCCでは、慶応大学主催の「日越交流サマー・ワークショップ」が8月28日・29日に開催される。日本の大学がベトナムに向ける視線が熱くなってきたことを感じさせる。

 4.昼食は、POEMEの鈴木さんとご一緒。徒歩でアメリカ大使館前のイタリアレストランDsc08259_1 に向かう。その前にPOEME店頭でシュークリームをいただいたので食欲減少。土曜日は休みなので、郊外に遊びに行こうかという話になった。こういう日もないと疲労がたまる。このイタリアレストラン、机の上にクレヨンが置いてある。何に使うのかと思っていたら、白い紙のテーブルクロスに自由に絵を描いたり、大人なら商談のメモに利用できるそうである。食事終了後に、そのテーブルクロス用紙を持ち帰ることもできる。このアイデア、日本のファミリーレストランでも利用できそうである。

 5.日越経済交流センターのハノイ駐在代表のソンさんと、中古車販売会社のダット社長を訪問した。この会社、スゴイ会社である。中国から部品を輸入。エンジンはBMW。エアー関係はフランス。そしてベトナム初の自動車を組み立てる予定。1300CCと1600CCの2車種で、車名はLIFAN。値段は1万6千ドル。中国製の安価なバイクがベトナムに入り、ホンダやヤマハが苦戦したこともあったが、同じことが乗用車で始まろうとしている。中古車市場の最大手になることが同社の希望であり、中古車輸入そのものよりも、中古車販売の全体的な経営管理運営システムを日本から教えて欲しいと依頼された。

 6.その後、日本大学の方々を午後11時まで大宇ホテルでお待ちした。明日、ホンダの工場を見学したいという要望があった。ちょうど今日、シビックを新発売したばかりである。その話を伺ってみたいし、上記のLIFANについて、ご意見も伺いたいと思っていたところだ。しかしホンダは事前に予約を書面で送らなければならない。ちょっと無理だ。待ち時間に大宇ホテルのロビーで、荒川研さんに偶然にお目にかかった。三菱商事から台湾ユニマートの取締役に就任。以前は、ハノイ西友の社長。いつも何かとお世話になっている。お疲れのご様子だったので、簡単な話だけだった。

 今日の朝刊を見れば、ノンドックマイン共産党書記長は、中国を訪問していた。だから武部幹事長らは面会できなかった。日本からラブコールを送っているのに、そのベトナムは中国に気がある。そのような印象を受ける。ベトナムにとって、陸地での国境問題は解決したが、海上の国境問題は未解決である。特に原油資源の確保を考えれば、両国ともに国境問題は譲れない。それだからこそ相互訪問によって相互理解を深める必要がある。中国の影響はベトナムに強く及んでいる。同時にベトナムも中国を無視できない。こういう状況下で、日本のアジア外交の意義が問われている。

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2006年8月22日 (火)

ハノイ報告:日曜日・月曜日・火曜日の諸事

 昨夜から、部屋のインターネットが接続できずに困っていた。今は、もう大丈夫。私はパソコンの単なる利用者なので詳細は不明だが、おそらくIPアドレスの自動取得がうまくいかなかったようである。レセプションでIPアドレスの数値を聞いて、それを直接入力して、インターネット接続が復活した。

 以下、日曜日・月曜日・火曜日の出来事を列挙しておく。

8月20日(日)

1.鈴木さん(ハイハコトブキ前社長・POEME店長)と日本料理店「満寿多」で昼食。同店の店長は増田さん。ベトナムの安田火災海上に勤務され、退職後に開店された。鈴木さんが社長当時、保険契約をされた間柄である。住宅地の一画の「隠れ家」のような店で、2階からは間近にバマウ湖が見える。さらにタイミングが合えば、やや離れてベトナム鉄道の列車が走る。なかなか雰囲気がよい。

2.夕方に板東あけみさんに会う。タイビン省から戻られた。昨日、ダイエットのために夕食は食べないと誓ったのだが、やはり会わないわけにはいかない。板東さんのために再び日本料理店「ととや」で夕食。「ととや」はホーチミン市からハノイに数年前に進出。私が滞在した1998年に比べて日本料理店は飛躍的に増加した。カンボジアでは日本食を食べなかったから、日本料理店を2軒まわってもいいだろう。

8月21日(月)

1.板東あけみさんと保険省の前で待ち合わせ。三進交易(株)の新妻所長にお目にかかる。板東さんは、すでに説明したように11月に開催されるベンチェ省の国際セミナーの準備をされている。このセミナーには、人口家族児童委員会のレ・テイ・トゥー大臣が初日に出席し、歓迎挨拶をされる予定である。ベトナム64省すべての保険局から代表が集まり、さらに外国参加者も参加。「母子健康手帳」をベトナム全土、さらに世界に広げようとする試みである。総数200名が参加。英語とベトナム語の同時通訳には、ホーチミン医科大学のドン教授が担当。同教授は、米国でMDとPhDを取得された逸材である。このセミナーの趣旨に賛同されて同時通訳を引き受けられた。板東さんの説明を初めて隣で聞いたが、思わずホロッとする。涙もろくなったのは年寄りの証明だ。こういった社会福祉事業の実践は、若い学生に聞かせたやりたいと痛感した。流通科学大学にも社会福祉コースがあるので、ぜひ講演の機会を設定したい。

2.三井住友銀行のハノイ駐在員事務所を訪問。斎藤所長と樫永さんに対応していただいた。ここでは弊社(合同会社TET)のベトナム送金について質問した。ベトナム送金の仕組みが理解できたのは収穫だった。日本から海外送金する場合、日本の銀行の店頭で送金手数料を支払う。その後にベトコン銀行からも支払い請求が来る。この金額がマチマチであり、その仕組みは不明であった。それは以下のようである。企業口座の場合、送金額の0.1%。下限5ドル~上限100ドル。個人口座の場合、0.005%。下限2ドル~上限150ドル。もし三井住友銀行間の送金なら、こういった費用が不要。ただし残念ながら、同行の支店はホーチミン市にしかない。ハノイ支店の開設が期待される。なお、斎藤所長はベトナム語が堪能であり、板東さんの仕事の意義をよく理解していただき、ご協力を賜ることになった。

3.VDF(ベトナム発展フォーラム)の大野健一教授(政策研究大学院大学)と面会。最近の研究の情報交換をした。大野教授は、工業省における2輪車のマスタープラン作成の仕事をされているそうである。WTO加盟の影響についても意見を伺った。米国企業が本格的に進出してきても、その影響はサービス業・小売業・金融証券業に限定される。製造業は、やはり日本などが中心であり、大田区のような中小企業の産業集積の形態をベトナムに移植できないか検討中だと述べられていた。私は、ホーチミン市で訪問したG7マートの話や、最近の株式市場の動向について説明した。さらに板東さんの資料をお渡しした。

4.トヨタ自動車のキムリエンのショウルームのハイさんに面会。板東さんから寄付のお願いをした後、WTO加盟の影響を伺った。広州から部品をハノイに持ち込んで組み立てる。こういうシナリオは当面はないと指摘された。ベトナム進出の関連部品メーカーを支援するために部品輸出センターを設置した。トヨタ自動車はベトナムで最大の市場占有率(30%)の企業であり、多目的車イノバは競争力も高い。しかし今週の水曜日(23日)に、ホンダがシビックの発売を開始する。2輪車のトップメーカーであるホンダベトナムが乗用車生産に乗り出した。これは一般のベトナム人も注目している。隣接する工場の日系企業間での競争が始まる。ハイさんは、板東さんのボランティア活動にも協力を約束していただいた。ベトナム人の母子の人命を救う日本人の活動に、理解と感動を示さないベトナム人はいない。

5.その後にJETROハノイ事務所の馬場さんに面会。板東さんの活動について、ご協力をいただくようにお願いした。個人的に努力していただけることになった。馬場さんは8月末で帰任され、後任には高野さんが着任される。次に貿易会社のツゥイさんに会う。いろいろ仕事の話をした。これは日越経済交流センターの案件である。彼女は、このブログで以前に紹介したリンちゃんの友人である。板東さんは、この日の深夜便で帰国された。その後に、中央大学の高橋教授がビエンチャンから来越。それに小松みゆきさん(日越友好協会)が加わって、私はビールで再会を祝した。

8月22日(火)

1.以前の私の留学先であった国民経済大学・経済発展研究所のフオン先生を訪問。研究の打ち合わせ。訪問企業の紹介やベトナム語の紹介状を書いてもらった。そのほかに依頼していた越僑の送金や投資関係の資料を受け取った。ホーチミン市越僑委員会でインタビューしたときは、2005年の越僑の対ベトナム送金額は30億ドルと聞いたが、この資料では、2004年が30億ドル、2005年は40億ドル。この資料が正しいと思われる。また越僑を調査するには、越僑が結成した「越僑クラブ」があり、そのインタビューも不可欠であることがわかった。

2.JETRO事務所を再び訪問。偶然にお越しになっていた市川JICA専門家と馬場さんに、私の拙著をお届けした。お二人は多忙そうにされていたが、それは、ちょうど先の日曜日から「ジャパンフェスティバル2006」がハノイで開催されているためである。この日のViet Nam Newsには、ズン首相と武部幹事長・冬柴幹事長の3名が並んだカラー写真が掲載され、両国の友好関係の発展が期待されると書かれていた。日本から野球ボールを3千個、野球グラブを百人分、贈呈したそうである。武部幹事長は、歌手の由紀さおりのミニコンサートにも出席し、一緒にお歌いになったそうだ。これらは大宇ホテルで開催。

3.その後に同じ建物の1階にある「ベトナム発展情報センター」で書籍を購入。さらにチャンティエン通りの「タンロン書店」でも書籍を購入。さらに路地で露店の書籍販売をするマイさんに会う。7月の訪越時には、いつもの路地から露店がなくなっていた。寂しく思っていたが、すぐ隣の路地で店を開いていた。偶然の出会いで嬉しくなった。この店とは10年近いつき合い。マイさんと一緒に昼食を食べた。「何がよい?」と聞くので、大好きな「ブンチャー」を頼んだ。いつも彼女は親切にしてくれるのだが、それだけ私が上得意先ということだろう。いつも100ドル前後の資料を買う。ここで2000年前には某日系企業の財務諸表のコピーが販売されたりしていた。さすがに今、そのようなことはない。私達が食事中に、越英辞書を買いにベトナム人が来た。新書を買うよりも安いのである。マイさんには2人の子どもがいて、夫は家でゴロゴロして働かない。この路地と奥の小部屋を借りて開業するのに毎月3百万ドン必要だ。露天の女子店員には月に百万ドン払っている。いつも一緒に店番をしていた妹は、今は隣の喫茶店で働いている。しょうもない会話だが、ベトナム語の勉強になる。

4.午後は、ホアン=ズォン会社のハイ社長に会うためにフンエン省のニット製品製造工場を訪問した。ハイ社長は、ハノイの貿易大学敷地内のVJCC(ベトナム日本協力センター)ビジネスコースで研修を受けて、さらにJICA研修生として昨年に来日した。その時の講師が私であった。訪問希望を電話で伝えたら、わざわざホテルまで迎えに来ていただいた。工場は、ハノイからハイフォンに向かう国道5号線に面した好立地である。ハノイにもハイフォンにも中国国境にも近いというのが立地選択の理由。製品の80%が輸出で、その90%がEU向け。工場は5Sのスローガンこそなかったが、清掃・整頓されていた。WTO後の競争激化に備えて、友人で取引先の中国の工場に3ヶ月および6ヶ月の研修目的で従業員を派遣したり、VJCCで研修生を学ばせたりして、人材育成に投資している。その後、ハイ社長に夕食にご招待いただいた。この日は昼も夜もベトナム人にご馳走になった。有り難いことである。

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2006年8月21日 (月)

ベトナム株式市場の特徴:短期資金を長期投資が吸収する

 ベトナム株式市場が軟調である。これは、考え方を変えれば、市場開放にとって順風となっている。

 その局面に対応するために、消息筋によれば、ベトナム株式市場を管理する国家証券委員会(SSC)は、これまで参入制限の傾向にあった投資ファンド運用会社の認可を緩和する意向である。また、先日8月15日に発表されたように、アメリカ大手証券会社メリルリンチは、ベトナムで証券会社設立が認可された。このパートナーはベトナム最大の国営保険会バオベト社系列のバオベト証券である。

 このSSCの方針は、投資運用専門会社を増加させ、さらにベトナム市場の資金流入額を増やすことによって、株価を安定させることを意図している。このようにして、一般のベトナム人に株式市場が健全な投資先であることを認識させようとしている。

 ベトナム人投資家の多くは、短期利益を志向している。たとえば土地やアパートに投資した方が、株式より短期に儲かると考えている。したがって取得株式の株価下落があれば、直ちに売却する傾向がある。3年間とか5年間の長期保有という視点が欠如している。他方、投資ファンドや外国人投資家は、どちらかと言えば、長期投資を志向しているから、市場が軟調の局面で株式を買い増してもよい。SSCも、このような役割を期待していると思われる。

 以上、短期資金の売買における株価下落の「下支え」するを役割を長期投資が果たせば、ベトナム株式市場は安定的に成長する。こういった仕組みの形成には、もう少し時間が必要と考えられる。より小規模な投資ファンド会社の設立増加が期待されるからである。ただし市場は、計画通りに進展しないから市場なのである。今後も紆余曲折があるだろう。しかし全体として、ベトナム株式価格は長期トレンドとして右肩上がりと判断される。

 経済が成長して、企業業績も向上する。さらに外国投資資金が株式投資に流入する。その結果、株価が上昇する。こんな当たり前のことが、ベトナムで起こらないはずがない。これから本格的に始まろうとするベトナム株式市場の歴史を考えるならば、絶好の投資時期は今しかない。 

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2006年8月20日 (日)

ハノイの休日:雷を伴う大雨に思う

 ハノイのホテルを代えた。これまでの定宿だったNgoc Linh からEden。宿泊代は1泊18ドルから30ドルになり、部屋は狭くなった。ただし自分の部屋でインターネットの使い放題が魅力だ。朝食もブッフェスタイルになって、英字新聞Viet Nam News も無料配布。ただしNHK衛星放送もCNNも放映していない。BBCとHBOはある。なかなかすべて最適のホテルは難しい。

 このホテルに併設するイタリア料理店で、私が滞在中の1998年当時、ハザマの松本所長と昼食をご一緒したことがある。その後も、何度も前を自動車で通過したことがある旧知のホテルだ。

 ハノイ在住の小松みゆきさん(日越友好協会理事)の話では、この数日間、雨が降り続いている。ホーチミン市やプノンペンでも今は雨期だから、同じように雨は降るのだが、一般的に朝から昼は晴れていて、夕方に一時的に雨が降る。ハノイは、朝からガンガン大雨だ。憂鬱な気持ちになるのだが、それがハノイの特徴。それが良いという人も多い。いつも快適な気候では、それも面白くない。このように考えれば、どこでも「住めば都」である。

 昨日、旅行カバンを運んでいて少し腰が痛い。筋肉痛という感じだ。ハノイで再度、荷物を日本に送ることを考えよう。そんなこともあって今日は休日。ただし昼食を、POEMEケーキ店の鈴木さんとご一緒しようと思う。それ以外はホテルの部屋で、せっかくのインターネットだから、それも使いながら、いろいろ仕事する予定である。

 ただし今、ホーチミン市でお目にかかった「母子健康手帳」の板東あけみさんから連絡があり、今日の午後にタイビン省からハノイに戻られるそうである。ここで夕食をご一緒となれば、最悪の肥満パターンの「落とし穴」にはまる。これには注意。明日にお会いしようと思う。

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2006年8月19日 (土)

再訪問したいプノンペン:武部幹事長と一緒にハノイに向かう

 プノンペン空港では、ワイヤレスでインターネットが使える。これは便利だ。高橋教授とは再び偶然に同じ飛行機だが、教授はビエンチャン、私はハノイである。この行き先まで同じなら、ちょっと困ってしまうというか、気持ち悪い。もっとも私はハノイからビエンチャンに向かう。

 空港で驚いたのは、自民党武部幹事長や公明党冬柴幹事長ら与党幹部と同じ航空機でハノイに向かうことだ。4~5名の記者が同行しているから、おそらく日本の新聞でも報道されるだろう。偶然とは不思議だと先日書いたが、これもまた偶然である。

 飛行機の中で武部幹事長に「ご苦労様です」と声をかけた。「シャムリアップですか」と聞かれるので「ハノイです」と答えた。でも考えてみれば、「行き先でなく、どこから来たのか」という質問だったのだろう。会話は難しい。座席は武部さんが1A、冬柴さんが2A。ちなみに高橋教授が4C、私は4Dであった。

 武部幹事長らはカンボジアやベトナムでも、黒いスーツ姿でノーネクタイの「クールビズ」スタイルである。同行記者も同様である。「公人」や記者の仕事は大変だ。ビエンチャンから乗り込んできた隣席のオーストラリア人の初老の男性は、その同じ黒いスーツ姿を見て奇妙に感じたようだ。彼は足をくじいて、同行の旅行グループから遅れてハノイで追いつくのだそうだ。車いすでの移動である。「ベトナム人は高齢者に対して親切だ」といった話をした。ところで日本人の服装の横並びは、もう辞めた方がよい。服装が同じだと、外国人から見れば、それぞれの意見まで同じに思えてしまう。

Dsc08197  この与党幹部の訪越では、新しく就任したズン首相・チェット国家主席それに留任のマイン共産党書記長などの要人との会談が設定されている。ロック商工会議所会頭にも会われるようである。このロック会頭には私も以前にお目にかかったことがある。ノイバイ空港では、昨年まで在東京ベトナム大使館の参事官だったカインさんも迎えに来られていた。声をかけようと思ったが、やはり遠慮した。いくら私が元気だと言っても、その場では立場が違う。写真は、午後6時30分、ハノイのノイバイ空港である。

 中国の影響力が、カンボジア・ラオスそしてベトナムにも強く及ぶようになってきている。中国が、隣接する周辺国と友好強化を志向するのは当然である。国境を接する国々だからである。他方、日本は、「東アジア共同体」における指導的役割の維持・強化や、国連における日本の地位向上(=常任理事国入り)を考慮すれば、中国以上に積極的に中国周辺国との外交を推進する必要がある。何と言っても、依然として日本はアジアの経済大国である。

 この意味で与野党を問わず、積極的なアジア外交の時代が到来している。今回の与党外交の成果を期待したい。私見では、この場合の基本的な視座は、「アジアとともに日本も発展する」ということである。換言すれば、共存共栄である。さらに企業経営で言えば、WIN-WINで双方が満足する解答を見つけることである。この場合、自分の立場を明確にし、かつ相手の立場を理解しなければならない。

 少なくとも小泉首相には「相手の立場を理解する」努力はなかったのではないか。または、その努力の説明がなかった。これまで日本人は「自分の立場を明確にする」ことは苦手であった。小泉首相には、それがあったから人気があったし、今でも人気がある。しかしながら、相手の立場や意見を理解し、それを斟酌することが双方が満足する解答を見つける方法である。相手の立場が「理解できない」と言うだけなら、いつまでも問題は解決しない。

 自らの主義や主張を堅持することと、相手のことを考えて妥協・譲歩することは矛盾しない。妥協することは、自らの信念や思想を捨てて変節することではない。妥協は妥協である。このように考えて解答を導いた。解答に至るまでの過程を明示する。このことが、最近になって強調されるようになった「透明性」とか「説明責任」と呼ばれることではないか。双方の立場を明示し、その両方からの歩み寄りの過程も公表する。かつての日本は「玉虫色」の解答が得意だった。それだけでなく今日は、その解答までの過程を説明せよというのが私の主張である。

 自分の立場を主張するだけのリーダーから、相手の立場も考慮して結論や妥協に至る思考・過程・事情を明確に説明できるリーダーが、アジア外交には求められていると私は思う。

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ベトナムに移動します:やっとカンボジアが見えてきた

 今、19日の早朝。午前中、高橋教授と一緒に日本橋とキリングフィールド視察。午後にハノイに移動する。ハノイは、1998~99年に9ヶ月間滞在していたホームグランドである。明日の日曜日は完全休養。ホテルの部屋でビールを飲みながら本を読もう。

 さて、昨日は以下のような活動であった。プノンペン訪問は4回目であるが、ようやくカンボジアが見えてきた。ベトナムやラオスと同様に動けるという手応えを感じる。これが今回の最大の成果である。その理由は、それだけ多様で多数のカンボジア人と接することができたからである。少なくとも30分~1時間の真剣な会話するのだから、カンボジア人の理解が深まる。それに加えて、在留日本人の方々からの情報が、その印象を補強してくれる。

 1.プノンペンのDHLでカンボジア関係の書籍を日本に送った。一昨日買った「クラタ胡椒」を一緒に送ろうと思ったのだが、それが種子とみなされれば、日本の税関で検査される可能性があると窓口担当者が教えてくれた。トラブルは避けたいから、胡椒は自分でもって帰ることにした。書籍は10キログラムで200ドル近い料金。高いように思ったが、このまま帰国するならともかく、これからベトナムさらにラオスそしてベトナムにまで持参することを考えると、やはり日本に送ることにした。

 2.プノンペン商業会議所の事務局長テックさんにお目にかかった。彼は、会長ではなく専従事務局のトップである。日本からの投資を歓迎するという話をしていただいた。カンボジアの魅力は、政府の投資インセンティブである。銀行の送受金は自由であり、ベトナムのように管理が厳しくないそうである。たとえばベトナムは入金は簡単だが、他方、外国送金はその資金出所明示した書類が求められる。未確認だが、カンボジアの銀行はこれが自由ということだろう。ベトナム・カンボジア・ラオスの制度比較は、今回の研究テーマでもある。次回に目的限定で調査したい。

 3.在カンボジア日本大使館の村田さんと作田さんにお話を伺った。村田さんの前任国はベトナムであり話が弾んだ。豊富な石油・鉱物資源が、今後のカンボジア経済成長を牽引するという指摘があった。ベトナム国境付近のボーキサイト鉱脈は世界最大級。現在はDsc08069 自然保護のために伐採禁止であるが紫檀・黒檀など木材資源も豊富。また観光業も有望。アンコールワット観光も2000年に60万人。2005年が100万人。2010年には300万人の観光客が予想される。ここの問題は、観光地の上水道などインフラ未整備。観光客は現状で飽和状態である。資源・観光開発で政府税収を確保しながら、インフラ整備や大多数の国民が従事する農業の生産性を上げるシナリオが考えられる。

 私見では、現在の縫製業のみならず、既存または建設中の工業団地の企業誘致が促進されれば、それ以外の製造業の発展も期待できる。しかしこれは、たとえば次の相対的な比較で投資が判断されると想像できる。ベトナムの労働力不足・労働争議・賃金高騰などの状況、他方、カンボジアの労働力・人材の質的向上やインフラ整備の状況。周辺国との差別化が今後の発展方向を定めるように思われる。

 4.空港で高橋教授を出迎える。教授は、福沢諭吉や稲盛和夫についてベトナム語の翻訳書を出版したベトナム人の先生とホーチミン市でお会いになったそうである。以前に紹介したコンビニの「G7マート」の副社長のタオさんが、やはり福沢諭吉について知っているかと私に質問していたが、おそらくその翻訳書の影響なのだろう。

 5.カンボジアPANNASASTRA大学(PUC)の経営経済学部長のペン=ゴエゥン先生を訪問した。この大学の読み方は難しい。うまく発音できない。この大学の特徴は、すべての科目を英語で講義することである。入学試験で英語があり、不合格の場合は英語コースで英語を勉強する。大学システムは完全な米国流。教科書も英語。英語を読んで英語で講義を受ける。外国で学位を取得した優秀な教員を集めているために、カンボジアの私立大学23大学の中で最も高い学費だそうである。東北大学大学院を修了されDsc08093 たチェットラ教授にも同席していただいた。日本語を使う機会がないので、かなり日本語を忘れたと話されていた。

 この大学は、会計学・経営管理・経営情報・金融銀行・マーケティング・観光ホテルの6学部を有し、流通科学大学と近似した学部構成になっている。今後、相互に大学交流ができればよいという話になり、来年にゼミ学生を連れてくるように努力すると約束した。その時の講義依頼もあった。こういう大学がカンボジアにあり、1学年5千人の学生が学んでいる。これらの学生が次々に卒業することを考えると、カンボジアの高等教育を受けた人材供給は量的に十分であろう。カンボジア経済の牽引役になってもらいたい。

 6.高級カンボジア料理店マリスに行った。1皿が5ドル~という料金。日本ならその2倍Dsc08099 くらいの感覚である。このレストランの雰囲気は東京でも通用する。カンボジア料理が初めての高橋教授も満足されたようであった。プノンペンの雨上がりは涼しく、屋外テーブルでも快適である。この店は絶対に推薦する。

 以上、長い1日が終わった。大学訪問すると、その切り口からカンボジアを見ることができる。大学教員という同業者を見ることで、相手国の特徴をより的確に知ることができる。この意味では、カンボジアの私立大学は研究よりも教育である。研究分野は、カンボジア経済研究所などシンクタンクに依存していると思われた。

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2006年8月18日 (金)

カンボジア経済研究所を訪問:午後は胡椒を買う

 昨日17日の午前中に、カンボジア経済研究所(EIC:Economic Institute of Cambodia)を訪問した。所長のソックハ(Sok Hach)さんに対応していただいた。カンボジア経済の全体的な概要を伺ったが、政府の汚職や縁故主義が最大の問題であると指摘された。汚職は減っているとはいうものの、それは依然として大きな問題である。

 この指摘は理解できる。たとえば、外国人が「日本企業の成長力はスゴイですね」と言って、それを賞賛することがある。しかし日本企業を少し知っている人は、必ずしもそれに首肯できない。「リストラ」や非正規労働者の大量採用、成果主義の導入による労働分配率の減少、今後の増税や年金破綻の危機など、必ずしも労働者にとって生活水準が改善しているとは思われない。そうであるにもかかわらず、「日本企業はスゴイ」と言われても、ちょっと困ってしまう。

 ソックハイさんはカンボジアを熟知しているだけに、「汚職が減っていますね」と言われても「そうではない」と答えざるをえない。「カンボジアは多党制だから政治的な不安定性があるのでは?」という質問にいついては、「そうでもない。フンセン首相は長期政権で安定している」と回答された。フンセン首相は戦略家であり、マレーシアのマハティール元首相、シンガポールのリークゥワンユー元首相を目標にしているという指摘もある。

Dsc08005  写真は、トゥールスレン集団虐殺博物館の敷地内で撮影された。淡い色合いの花は、雑草の中から自然にわき出るように遠慮気味に優しく訪問者を見つめている。展示室から出てきたばかりの心痛な気持ちを慰めてくれた。演出された造園にはない安らぎを感じさせる。(クリックすれば、大きく鮮明に見られます。)

 午後は3年ぶりに丸紅の松下所長にお目にかかった。カンボジア縫製業は、勝ち組と負け組に分かれると指摘された、。また石油や天然ガスの開発プロジェクトが総合商社としては注目される。松下所長は、ラオス所長も兼務されており、ラオスの近況も伺った。カンボジアもラオスも埋蔵資源の開発が進み、さらにラオスで水力発電所が完成すれば、一気に国民所得が倍増するという夢のような話があると言われた。

 以前に私は、ラオスの中部セポンで金鉱開発をしているオーストラリアのオキシアナ社を論文で紹介し、その時に「黄金の国ラオス」になるかもしれないと指摘したが、それは実務界でも語られている。カンボジアやラオスは現在は貧しい国であるが、その鉱物・天然資源の活用によって急激な成長もありうる。

 今日はホーチミン市から高橋教授が来られる。その前に商工会議所のティさんに再び会って、その後に日本大使館でカンボジア経済情勢について復習する。そして空港で高橋教授をピックアップして、次に可能であれば、パンハサスツゥ大学経済経営学部長に会えればと思っている。この学部長を紹介してくれたのもプイキアさんである。今回は彼に大変お世話になった。感謝である。

 Dsc08057昨日ホテルに帰る途中、『地球の歩き方』もで紹介されている「クラタ=ペッパー」で黒胡椒・白胡椒・完熟胡椒の3点セットを買った。真空パックで香りが逃げない有機栽培の胡椒であ る。日本人の倉田さんがコッコン州で栽培を指導されているのだが、残念ながら帰国中でお目にかかれなかった。カンボジアは胡椒の産地として有名であったが、ポルポト時代に栽培が途絶えたそうである。倉田さんはそれを惜しんで、地元の農民とともに胡椒栽培を始めたのである。ぜひ日本で賞味したいと思う。日本からメールによる注文も受け付けているそうである。次を参照。www.ksline-cambodia.com

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2006年8月17日 (木)

プノンペンで何を食べているか:ビールが主食?

 昨日の午後は、Pak Shon Knitting Factoryを訪問。まだ30歳代のチャマディさんに対応していただいた。出荷課長といった役職。この会社は香港のオーナーの会社で、もうひとつの工場をもっている。製品の60%がドイツ向けで、次にスペイン20%、イギリス10%、米国5%、フランス5%と続く。

 WTO加盟後に米国のクウォータ(輸出割り当て)が解消され、20%程度あった輸出が5%に激減した。その代わりにEU向けが伸びた。対EU輸出が対米国輸出に代替することは、ベトナムのキャットフィッシュ(ナマズ)の切り身にも言える。米国が、ベトナムからの輸入価格をダンピングとみなして高関税を付与したが、逆にEU向けの輸出が伸びて業界は好調。他方、ベトナムの縫製企業は、WTO加盟後に、やはり米国のクウォータが廃止されるので、より対米国輸出が伸びると期待している。このように、WTO加盟によって自由競争となり、勝ち残る国と負ける国がある。このことは国を企業に代えても同様である。

 カンボジア縫製企業にとって最大のライバルはベトナムであり、カンボジアでもベトナム人労働力の優秀性が認識されている。ただし労働組合問題が今後、ベトナムで発生しない保証はない。そういった問題をカンボジアは経験済みであり、その対応やノウハウも持っている。上記の会社も労使関係は円滑である。ILO(国際労働機構)の規定を遵守しているとチェマディさんは強調していた。果たしてベトナム企業は、ILO規定に対して大丈夫なのか?またカンボジアの投資優遇策は、かなり有利と聞かされた。銀行の口座開設や送金についても自由度は高い。この指摘を確認する必要がある。

 以上は仕事の話。さて次は、食べる話である。

 ベトナムでは、知人などと一緒に食事することが多くなると、どうしても食べる量が増える。昼食と夕食の連続といったことがある。料理が美味しいから「もったいない」と思ってしまって、ついつい食べてしまう。

 今回のベトナムでも、いつものチョロンの海鮮料理店で、子持ちのクア(CUA)を食べた。このクアとワタリガニは別物であると、このブログで三洋電機ベトナム元社長竹岡さんから、ご指摘があった。今の時期でも生きている「子持ちカニ」が食べられるのは、冷水で飼育しているからである。

 それでDsc07933はプノンペンで何を食べているか。一人でいるときに私は食事に無頓着である。面倒なことが嫌いという性格もあるが、一人で美味しいものを食べても楽しくない。写真 は、近くの中華料理店街の中の1軒である。チャーハンと餃子とビール。これを全部食べたわけではない。いくら「もったいない」と思っても、客観的に考えて無理なことは無理ということもある。

 驚くべきはその値段である。だいたい1皿が1ドル~2ドル。これで確か4ドル払った。味はともかく、安いというのは嬉しい。カンボジアには中国人が多数住んでおり、このような中華街が繁盛している。上記の訪問企業でも、生産ラインの責任者は中国人ということであった。

 朝食は、ホテルでビュッフェ形式の洋食。昼食は、めんどくさいのでビール。かつて阪神淡路大震災の時、ビールは最良のサバイバル食であると聞いた。水分もカロリーも十分で、ビールを飲めば生存可能。このビール、カンボジアでは「アンコール」がよい。またラオスから「ビアラオ」が輸入されているので、それも飲んでいる。値段は同じである。水の代わり、主食の代わりに飲む。飲みやすいビールが一番だ。

 数年前のカンボジア訪問では、ご専門がタイ経済の同志社大学・上田教授(偶然に同姓)と「ツバメの唐揚げ」を食べた。トンレサップ川沿いの有名レストラン。パリパリとした食感でビールと一緒に食べて美味しかった。今度、高橋教授が来られたら何を食べるか。ひとりでなく、ふたりになれば、食べることに意欲と元気が出る。カンボジア料理に挑戦したい。

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2006年8月16日 (水)

カンボジアの悲劇から日本が学ぶこと:トゥール=スレン集団虐殺博物館を訪問

 午前中は予定がなかったので、プノンペン市内のトゥール=スレン=ジェノサイド(集団虐殺)博物館を訪問した。この博物館は、ポルポト政権(1975年4月~1979年1月)下で拷問・虐殺が行われた場所である。それ以前は高等学校であり、その教室が収容・拷問に使用された。本来は活気あふれる教育の場所が、人間性を無視した虐殺に使用されるというのだから、それだけで気が重くなる。ここに2万人が収容され、生存者は6人というのである。

 こDsc07982れは写真展示場(フォト=ギャラリー)である。ポルポト時代の生存者の証言が、その写真とともに語られている。それぞれの人生がだれもにあり、その人生は子ども達に引き継がれていく。この自然な人間の営みが、突然の集団殺害によって断ち切られる。突発的な予期せぬ事故ではなく、かけがえのないそれぞれの人生を人間が意図的に終わらせる。これらの展示を見ていると、ポルポト政権の非道さが痛切に伝わる。次は私の家族を連れてきたいし、さらに私の学生も連れて来たい。人間と人間の関係は、本来は協力・協調・友愛のはずである。それだからこそ人類は今日まで生存・発展してきた。これに反対の出来事や事件に断固反対である。

 この博物館で最も印象深かったことは、来館の記帳書(ゲスト=ブック)に記載された次のような意味の文章である。ある韓国人の英文である。

 「これは人間のすることではない。----それにしても、ここに日本人が来ていない。日本人は戦争を後悔しているのか?」

 これは、昨日の終戦記念日に書かれた新しいコメントである。この韓国人は、ここでの拷問や虐殺の展示を見て、おそらくソウル郊外チョナンにある独立記念館を想起したのであろう。この記念館には、日本軍の韓国での残虐行為が写真やマネキン人形で紹介されおり、韓国人なら一度は訪問するという場所である。この両者が連想されると、日本人に対する嫌悪感が増幅されるも無理はない。また確かに最近の日本人観光客は、シェムリアップのアンコール寺院の遺跡を見学するが、2003年のタイ大使館襲撃事件以来、プノンペン訪問は激減していると言われている。 

 他方、別のゲスト=ブックには、日本人が「終戦記念日に訪問し、平和の重要性を痛感した」という趣旨のメッセージを記載していた。しかし残念ながら、この文章が日本語で書かれていたために、この善意の気持ちが上記の韓国人に伝わっていない。

 そこで私は、この韓国人のメッセージの下に、I am a Japanese! と書いて署名した。このことを運転手トーチさんに話したが、彼から「それは良い」と評価してもらえた。ともかくカンボジア訪問最多の観光客は韓国人である。韓国からカンボジアに直行便が飛んでいるからである。

 以上のようなことを考えれば、今こそ、政府レベルではなく国民レベルでの「草の根」の国際コミュニケーションが必要である。なぜなら日本政府が自ら靖国参拝という政治問題を発生させている時期だからである。昨日のNHK衛星放送の終戦特集番組では、中国政府が「侵略戦争を推進した一部の軍国主義勢力と日本の一般国民を区別しなければならない」と指摘して、戦後賠償を要求しなかったと放映されていた。これと同様に、政府と国民の意思が違うこともあるというメッセージを日本から世界に伝えることが重要であると思う。これが民主主義である。

 なお、上記の韓国人のメッセージの返答として、さらに、By the way, how do you think about the Vietnam war? What did the Korean Army do in Vietnam? と書くこともできた。ベトナム戦争における韓国軍の蛮行は、米国軍よりも激しかったとも言われている。しかし、あえてそれを書かなかった。日本人と韓国人がケンカしているようなことを、それ以外の外国人に知らせる必要もないだろう。そして何よりも韓国とベトナムの問題は、韓国人自身が考えるべき問題だからである。

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2006年8月15日 (火)

プノンペンは涼しい:面白い調査が連続

 私の携帯電話に日本からつながらないという連絡がメールで来た。カンボジア国内でもつながらないことがあるので、通信事情が悪いということだと思う。国際電話が受けられないということは、常識では考えられないのだが、もう少し調べてみる。

 昨日の午後には、商業省とカンボジア日本センター(CJCC)を訪問した。商業省は輸出入を管理しているためにカンボジア国内で有力な省である。JICA研修生であったティダさんは親切に調査協力を約束してくれた。同室のイエンチャイさんは会計学を勉強していて海外留学でMBA取得が希望という。またCJCCでは、ラヴィ所長・インレンさん・矢追さん・小室さんにお目にかかった。インレンさんには昨年末に研究調査の協力を依頼しており、最近のカンボジアの全般的な状況が理解できた。

 本日の午前は、GMAC(カンボジア縫製協会)事務局長ケンローさんから話を聞いた。彼はシンガポール人であり、金融を勉強してフランスの大学から博士号を取得している。前職は、シンガポールのシティバンクだったそうである。GMACに勤務して3年になる。この協会の設立以来、今年が10周年となり、10月に記念事業が開催されるそうである。加盟企業は279社。協会の入り口には、それらの会社用のメールボックスが設置されていた。

 彼の説明は明確である。カンボジアの賃金・生産性を考えれば、それに比べてベトナムは高賃金・高生産性。ラオスは低賃金・低生産性。ベトナムのWTO加盟はカンボジアにとって最大の脅威となる。ベトナムの対アメリカの輸出割り当てが解除されるからである。カンボジア進出企業がベトナムに移転する可能性がある。またラオスは港湾がなく、物流コストを高めていたが、バンコック~サバナケット~ダナンを結ぶ「東西経済回廊」が来年に完成すれば、ラオス企業も成長するだろう。

 このようにカンボジアの周辺国は、すべて縫製業にとって強力な競争相手となっている。カンボジアの優位性は、政府の外国投資優遇策があることや、最大の輸出産業である縫製業と商業省が友好的な関係にあることである。また「縫製訓練センター」も今年10月から再開され、日本の専門家が来て指導に当たるそうである。他方、企業成長の障害として労働組合問題がある。1つの会社に4~5の組合が活動している事例もある。かつて指摘された汚職の問題は次第に減少している。

 労働組合の活動は、経済的・政治的な民主化の証左である。政治体制としても、カンボジアは多党制を採用している。これらの民主主義の進展は、一党独裁体制のベトナムやラオスに比べてカンボジアは先進的である。しかしそれが、経済成長の障害になっているとみなされる。この克服には、どのような方法があるのだろうか。

 午後は、カンボジア商業会議所(CCC)の執行委員会第一書記を務めるテイさんを訪問した。テイさんの本業は、自動車部品の販売などであるが、当面の最大のビジネスはリゾート開発だそうである。カンボジア経済の発展を現状では縫製業が牽引しているが、より将来性があるのはリゾート開発とテイさんは言明した。

 世界屈指の観光地であるアンコールワットの観光は、これまでベトナム観光やタイのリゾート地の滞在との組み合わせであった。そういった観光客をシハヌークビル近郊に開発されるリゾート地帯に誘致できれば、カンボジア観光業の将来発展が約束できるという。テイさんの開発プロジェクトの敷地は150ヘクタール。18ホールのゴルフ場も備えている。

 なお、彼の会社は、その名刺を見ると自動車ハンドルを左右入れ替えるという仕事もしているらしい。運転手トーチさんの自動車は1980年代のトヨタカムリであるが、ハンドルは日本と反対である。日本の中古車をカンボジアでハンドル交換して、ベトナムを始めとする周辺国に輸出する。テイ社長に、このビジネスの可能性を次回に質問してみよう。でもこういう仕事、ベトナムの「フォー24」のように、すでに誰かが考えたに違いない。

 カンボジア商業会議所の公式訪問ではなかったが、その有力な幹部と面会できたことは収穫であった。大阪のPREX((財)太平洋人材交流センター)から「特命全権大使」として依頼された仕事も無事に済ませた。

 今日はその後に旧知のプイキアさんを訪問した。今年38歳。若手ジャーナリストとして彼は最近有名になった。たとえば日本センターのインレンさんは彼の名前を知っていた。その理由は、赤いクメール(ポルポト)派のキューサンファンに関する著書を英語で刊行しているからである。この本は「ベストセラー」になったそうである。彼からサイン付きの著書をもらった。正直に嬉しかった。彼とは、いろいろ話をした。汚職の減少のために、彼も健筆をふるって政府批判をしている。

 プイキアさんと話していると、批判的精神があってこそ、ジャーナリストと言えるのだと痛感する。カンボジアの国民を愛し、民主主義を発展させるという気概が伝わってくる。彼のような人物がいる限り、紆余曲折はあるにせよ、カンボジアの将来は明るい。たくさん元気をもらった1時間であった。彼から、カンボジア経済研究所の所長を紹介してもらった。明日に会えればと思う。 

 今日は、ずっと英語で通した。日本人に会わなかった。だんだん英語に慣れてきたが、週末にハノイに行けば、再びベトナム語と英語の混じり合った会話が始まる。それはそれで楽しいが、やはり徹底した勉強が大事だと思う。反省はできるが、実行は難しい。

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2006年8月14日 (月)

カンボジアの近況:今日の午後から動き始めます

 カンボジアで携帯電話が使えなくなったので、新しい番号のSIMカードを午前中に購入した。昨年末の訪問時にお世話になった自動車運転手のトーチさんに買ってもらった。彼には、今回の訪問でも自動車の運転をお願いすることにした。

 新しい番号 012-160ー5410  日本からは、855-12-160ー5410

 カンボジア国内でしか使えない番号であるから、公開しても問題ないと判断しました。何か緊急の要件の場合、ご連絡ください。参考までに、日本で私は携帯電話嫌いである。携帯しない携帯電話をもっているが、それは待ち合わせなど目的を限定して使用している。仕事中に電話が来ると迷惑だからである。その代わり、メールは必ずチェックする。

 ベトナムでは、自動車を1日借りれば40ドル~50ドルであるが、カンボジアでは25ドル~30ドルが相場のようである。プノンペン空港から市内までの空港タクシーが7ドル。でもベトナムの感覚なら5ドル。この空港タクシー料金の逆転は、空港のお客が少ないという理由であろう。でも7ドルの価値はある。ベトナムのタクシー運転手は、数年前までマナーもよかったが、最近はメーター料金ではなく言い値を請求したりして、総じて感じが悪くなった。これに比べてカンボジアのタクシー運転手は親切で礼儀正しい。いつもでもそうあってほしいと思う。

 今日の午後は、商業省とカンボジア日本センターを訪問する。商業省のティダさんは、貿易関係主任であり、神戸のJICA研修で知り合った。日本センターのイングレッグさんは、以前の訪問時に私の研究アシスタントをお願いしていた。今後の訪問先の相談をするのだが、その中でもカンボジア商工会議所の訪問が重要な仕事である。

 大阪のPREX((財)太平洋人材交流センター)は、ASEAN諸国からの研修生を募集中であるが、カンボジア商工会議所からの反応がないと言うのである。PREXに代わって、特命全権大使として???訪問することになっている。

 なお17日午後には、ホーチミン市の路上で偶然に遭遇した中央大学の高橋教授もプノンペンにお越しになる予定である。時間があれば、空港までお迎えに行って驚かして差し上げようと思っている。

 けっして先生は「ストーカー」ではなく、大学研究者の発想や行動が類似していると考えるべきである。ベトナムに関心を持てば、その次にラオスやカンボジアに目が向くのは当然である。高橋先生と私の相違は、その関心が少し早いか遅いかの違いである。もちろん学問的業績では、ドイツ経営学の権威である高橋先生に私が今から追いつける見込みはない。そこで私は合同会社TETの設立によって「実学」を追究することにした。

 経営学を研究教育する者として、学問的業績と同時にビジネス的業績が評価されてもよい。それだからこそ、大学教授として企業経営者が迎えられている。私は今後、そういう領域に踏み込もうとしている。合同会社TETに関係する皆さまには一層のご理解とご協力を賜りたいと思う。

 なお、前期の講義「ベンチャー起業論」で私が指導した学生が、上月財団が主催する「学生ベンチャービジネス懸賞金」募集の第1次審査を通過した。学生本人からメールが届いた。ゲーム機器コナミの創業者上月氏が設立した財団が、毎年、大学生のベンチャービジネスのために最高200万円を提供している。これまでに私が指導して、兵庫県立大学(旧・神戸商科大学)の学生が1次審査を通過したが、本務校である流通科学大学からは初めてである。これは、大学教育者として久々に嬉しいことである。

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カンボジアの携帯電話の番号が変更:それに少し考えたこと

 カンボジアの携帯電話の番号が使用できなくなった。SIMカードが壊れたようだ。本当かな? もう少し調べてみよう。ともかく新しいSIMカードを買うためには、カンボジア人の身分証明書が必要。そうでなければ、現地進出会社からの購入となる。また、新しい番号が決まれば、お知らせします。

 ともかく無事にプノンペンに到着。ホテルの部屋からインターネットができるが、このホテル(Holiday Villa)、やや古くてLANケーブルが設置されていない。そこで電話回線からの「ダイアルアップ接続」である。昔懐かしい「ピー、ヒョロヒョロ」接続となる。今の若い人には理解できない世界であろう。

 なお「無事に」というのは正確でない。今もホーチミン市のホテルの部屋の鍵をもっている。これは7月の訪問時に続けて2回目である。前回は、タクシーの中で気がついて、その運転手さんにホテルに返してと言って、それ相当の余分のお金を払った。

 今回は、空港のチェックイン直前に気がついた。ホテルに電話すると、9月にホーチミン市に戻るときに返してくれればよいと言うことであった。こういう鍵の管理は、ホテル側の責任もあるので当然と思う。前回は、お客の側が良心的に対応したのである。

 このホテル、ホーチミン市のリンホテル(16 Mac Thi Buoi)である。この通りには、日本人の出張ビジネス用のバック・ダンホテルがあり、さらにEMEMという雑貨店がある。さらに足マッサージ店もあり、少し歩けばドンコイ通りに交わる。

 この写真は、私の部屋(5階)から見た風景である。正面には今年3月まで中華料理店があったが、今はDsc07797更地になっている。その向こうに、かつて中国の元軍の侵略からベトナムを救ったチャン=フン=ダオの像があり、そしてサイゴン川に至る。写真の右手には、リバーサイドホテルがあり、その手前にはメイリンポイントビルがある。おそらく近い将来、この風景は見られないだろう。この更地に高層ビル建設が始まることは確実だからである。でも日本の事例を想起すれば、しばらく更地として寝かせておいて、値上がりを待つこともありうる。これはベトナムでも当然ありうる。

 さて、このダオ像は、確か中国の方向を向いていて、もう侵略を許さないという象徴的な意味があると聞いたことがある。またベトナムが元軍を撃退してくれたので、元は戦力が激減し、第3回目の日本侵略(「元寇」)を諦めたと言われている。このように、かつてベトナムは日本を救ってくれた。その共通の敵が元であった。

 しかしそのことを今でも感情的に語る人はいないだろう。遠い昔の出来事である。このような歴史を想起すれば、比較的最近の日本の侵略戦争についても、何百年後には単なる史実の1つとして記憶されるだけになる。そうであるからこそ、今を生きる私たちは、歴史的な事実を客観的に後世に伝える責任がある。感情に左右されないで冷静に事実に目を向ける。そのことから何をすべきか合意に到達する。日本の靖国神社問題を考える場合も、これが必要であろう。

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2006年8月13日 (日)

ホーチミン市からプノンペンに移動:昨日も楽しかった

 今、ホーチミン市で最後のブログです。もう10分もすると、ホテルをチェックアウトして、空港からプノンペンに移動します。

 昨日は、ヴェッテン縫製会社の副社長トアさんから始まり、金属加工のタム社長、お世話になっているアクシスの服部社長、それに夕食は高橋先生(中央大学)と板東さん(母子健康手帳)とご一緒した。、

 この間に、3日前に注文しておいた看板が完成した。「合同会社TET」という金属製の銘板である。日本なら2万円はかかると思うのだが、ベトナムでは4万ドン、約3千円弱。ベトナムでも漢字で立派に看板ができる。大事に日本に持って帰ろう。

 板東さんの寄付金集めにおつきあいできないのが残念である。企業からの寄付というので、数千ドルかと思っていたら、何と1口で2万円である。これなら、個人のポケットマネーでも支払える。また、そうすべきである。これまでに何千人もの乳幼児と母親を救ってきた活動である。それだからこそ、ベトナム政府から板東さんは3回も勲章を授与されている。こんな活動に協力できて光栄である。

 企業の社会的責任とか、企業の社会貢献が強調される。他方、企業活動におけるコスト削減も継続して徹底した課題である。この両者の接点は人間の気持ちである。前者も後者も、それを実行するのは人間である。法人としての企業が寄付できないと判断するなら、自然人として個人ででも寄付するのが本当である。

 自分で会社を設立してみて、法人と自然人の区別が明確に理解できるようになった。以上のような寄付金募集は、法人の論理と自然人の論理の異なる場合が生じる実例である。この区別は重要であるが、自然人としての良識や真心が、法人の論理に代替されれば、その経営者の人間性が疑問視されることになるだろう。最近のホリエモン事件や村上ファンド事件にも当てはまる。

 板東さん宛に私は日本で1万円を振り込んだが、高橋先生も即座に1万円をご寄付された。それほどの価値ある活動である。企業の寄付が2万円から、個人の寄付が5千円からである。多数の寄付金が集まることをお祈りしたい。

 板東さんには19日か20日にハノイで再会できそうである。ますますのご活躍をお祈りしたい。さて次のプノンペン。ブログを継続できるかどうか。たぶん大丈夫だと思う。

 

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2006年8月12日 (土)

ホーチミン市6日目:安田さんとドンズー日本語学校のホエ先生

 その日の間にブログを書くのが、大変になってきたので、1日遅れをお許しいただきたい。昨日は、昼食を商工会議所のフン副所長にご馳走になった。ハノイから計画投資省のフン局長が参加され、それに高橋教授と大学院生フンさんも一緒であった。

 一緒に食事をして、いろいろ話をして、ご馳走されれば、ご馳走する。これが、ベトナムビジネスの基本スタイルであると思う。その後、タントアン輸出加工区に立地する安田の安田社長にお目にかかった。7月半ばの日本経済新聞で、オンワード樫山と共同で工場拡張する計画が発表されたので、その詳細を伺うためである。

 安田さんとは、1998年にお目にかかって以来の再会である。その当時、従業員の管理のために、サッカーの「イエローカード」を導入されたということを日本の雑誌『アジア倶楽部』に紹介した記憶がある。これは、たとえば清掃をしないとか、ルールを守らないと、その従業員にイエローカードが発行される。これが3枚になると「レッドカード」となり、給与が減少する。このシステムは、現在も継続されているそうである。

 同社の新工場は、同じタントアンにあり、現在の2倍の敷地である。今の工場を新工場に移転するそうである。オンワード樫山は、中国生産を周辺アジア国に分散する方針ということであった。その中で、ベトナムが最重要拠点とみなされている。これまでの安田の品質重視、不良率減少という努力が評価されたのである。

 安田は、5Sを実施していないが、清掃は徹底させており、その成果もある。「イエローカード」が有効に機能している。掛け声だけの5S実施でなく、その結果を最初から重視した戦略である。他方、このような「イエローカード」は従業員に緊張感やストレスをもたらす。そこで社員旅行などが実施され、従業員間の親睦を深めることにも考慮している。

 新工場に移転後も、ますますのご発展をお祈りしたい。

 それから、ドンズー日本語学校のホエ校長先生を訪問した。ホエ先生と初めてお目にかかったのは、やはり10年ほど前である。かつてホエ先生は、AOTS(海外技術者研修協会)のベトナム代表をされていて、その関係でお目にかかった。その後の1998年のハノイ留学時には、この学校に1泊か2泊宿泊させていただいたこともある。この時のシャワーは「水」であり、なるほど普通のベトナム人は「水シャワー」であることを実感できた。また、同志社大学商学部の麻生先生の依頼によって、同大学の日本人大学生とドンズーのベトナム人学生との交流活動を実施したこともある。

 今日、日本の大学では日本人学生数が減少し、その経営は、できるだけ多数の留学生の受け入れに依存しているといっても過言ではない。そして韓国、台湾、中国に続く有力な留学生の供給市場はベトナムである。ホーチミン市で日本語学校の老舗といえば、このドンズーである。いよいよ、ドンズー日本語学校の卒業生が日本で活躍できる風が吹いてきたとみなされる。現在、日本の大学で学ぶ卒業生は390人だそうである。この9月に、富士山麓で全国のドンズー卒業生が集まるキャンプがあり、それにはホエ先生も参加されるそうである。

 ホエ先生は、以前から流通科学大学の「実学」志向の教育に賛同していただいていた。現在、このドンズー卒業のベトナム人留学生が、同大学に1名在学している。ますますの関係の深化を期待したい。本音を言えば、ようやく流通科学大学もベトナムに目を向け始めた。これまでは中国偏重であったように思う。

 今日は、ベトナム国内の高級ブランドであるヴェッテン(Viet Tien)社を午前中に訪問する。また夕方には、坂東あけみさんと高橋教授の対面もある。舞台は、細井さん経営の日本料理店「どらえもんかか」である。その成果と結果は、明日以降にカンボジア、プノンペンから報告する。 

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2006年8月11日 (金)

ホーチミン市5日目:ともかく偶然とは不思議なものです

 昨日は、カラベルホテル隣の中華レストランでクエ先生から夕食をご馳走になった。クエ先生は62歳。今年1月にマーケティング大学学長を退職されてから、いくつかの大学の学長就任の要請があったそうだが、マーケティング協会が発行する一般向け月刊誌『Marketing』の編集長としての仕事が多忙と言われていた。

 この雑誌に、日本の流通・マーケティングの事情を定期的に寄稿してほしいと頼まれたのだが、顔写真入りというのでやや躊躇してしまう。顔を見せてしまうと恥ずかしい。流通科学大学には「アジア流通研究センター」があるので、そこで相談するという返事をした。しかし当面、先のブログで紹介した「G7マート」については書いてみたいと思う。

 昨日の朝から、JVCC(日本ベトナム人材センター)の伊坂所長に同行していただいて、タイトゥアン繊維縫製会社を訪問した。同社は、JVCCのビジネスコースに多数の研修生を派遣し、5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)の指導を受けた優等生企業である。5Sの目的は「従業員の意識改革」と副社長のトゥアンさんは明確に述べられた。さらにWTO加盟は、原材料や設備機械の輸入にとって有利になるという指摘をいただいた。

 午後からは、ワコールベトナムの今泉社長にお目にかかり、やはり5SとWTOについて、お話を伺った。同行した大学院生フンさんが、5Sについて、なかなかよく勉強していて、同じ大学の教員として嬉しかった。今泉社長によれば、5Sは、「ベトナム人の意識を変え、企業文化を変える」手段である。これは、前述のトゥアンさんと同様の解答である。5Sが単なるスローガンではなく、その理由や効果を明示することが必要と強調された。

 WTO加盟については、税制優遇を受けている進出企業が、WTOによって優遇がなくなるという懸念を表明された。税制優遇を条件にして進出を決定したのだから、その既得権を手放すことはできないという当然の主張である。私見では、WTOが「大波」であって、これまでの既得権などが、それに呑み込まれて洗い流されるような印象を受ける。

 既進出外国企業、ベトナム国内企業、今後の進出外国企業。これらの利害調整をどうするか。ベトナム政府の対応が注目される。

 今泉社長に私の拙著を謹呈したが、ちょうど8月10日が同書の出版日と重なり、非常に喜んでいただいた。同書で説明しているベトナム株式市場についても、ちょうど関心をお持ちだったようで、初対面とは思えないほど意気投合した。これも偶然がさせることであろう。

 ワコール訪問後に、明治乳業の中嶋さんにお目にかかった。ちょうどハノイご出張前ということで立ち話であったが、やはり、G7マートの動向について注目されていた。9月最初にホーチミン市に私が戻ったときに、ゆっくりお話するということを約束した。通常の小売店が、G7マートのフランチャイズに加盟することで、徐々に変化していることに注目されていた。確かに今は、これが「コンビニ?」と疑問に思うほどにG7マートは洗練されていないが、それが徐々に改善される。この可能性は十分にある。

 お菓子の最大手企業キンドー(漢字では「京都」)が株式上場を果たし、数日前に米国の大手菓子会社キャドベリーと業務提携したと報道されていた。このことが、G7マートの事業展開のイメージと重なる。キンドーのベトナム全土に対する店舗展開は急激であったが、その味や品質管理は当初は必ずしも良くなかった。これは、ハノイのハイハコトブキ社におられた鈴木前社長から何回も聞かされた。生ケーキの品質管理ができていないのである。

 しかし「量は質を凌駕する」と言えるように、キンドーのように多数の小売り店舗網を背景にもてば、世界的な大手企業との提携も可能になる。まさに人海戦術ならぬ「店海戦術」である。今後、同店の品質や品揃えの改善が徐々に進むと予想される。G7マートも、同様に考えられるかもしれない。このような「品質よりも量を優先する」という発想は、少なくとも日本企業からは出てこないように思われる。しかし、それがベトナムの実情に適合していると考えることもできる。

 昨日の昼食時にシェラトンホテルの前を歩いていると、中央大学商学部の高橋由明先生が路上に立っておられて驚いた。やや遠くから「高橋先生~~」と声をおかけした。「ベトナム人の家族と食事をするので待ち合わせている」と言われるので、少し待っていると、何と、そのベトナム人も私の知人であった。こんな2重の偶然は普通では信じられない。

 高橋先生は、大変な篤志家であって、困っている人を見ると何かしてあげないと気がすまないというような方である。偉そうな大学教授は多いが、本当に暖かい気持ちをもった大学教授は寡聞である。高橋先生は、こういった面で、少しでも私も近づこうと思っている教授である。もともとのご専門はドイツ経営学であったと記憶している。ベトナムやラオスに高橋先生を初めてお連れしたのは私であり、今でも「上田さんのおかげでベトナムに来れた」と感謝されているのだが、これは恐縮の極みである。

 このことを「類は類を呼ぶ」と言って良いのかどうか不明だが、この偶然に驚くばかりである。明日に、ベンチェ省からホーチミン市に来られる板東あけみさんを高橋先生にご紹介しようと思う。またまた意気投合の予感がする。こういう出会いは、日本では考えられない。めったに日本でお会いしない高橋先生にホーチミン市の路上で会う。この驚きと感動が、ベトナムの魅力である。

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2006年8月10日 (木)

ホーチミン市4日目:忙しくて楽しい

 今日は、3社を訪問し、夕食は前マーケティング大学学長のクエ先生とご一緒した。

 やや飲み過ぎなので、今日はここまで。、

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2006年8月 9日 (水)

ホーチミン市3日目:まだまだ元気です

 午前中は、エースコック=ベトナム社の浪江社長と新規事業担当の梶原さんを訪問した。いろいろ情報交換をした後に、ラオス清掃ボランティア活動の支援をしていただくことになった。すでに4回目になる活動は、ラオス国立大学経済経営学部の大学生や日本センターで日本語を学ぶ学生と一緒に、ラオスの小学校や中学校を訪問し、児童や生徒達と校舎を清掃するという内容である。この子とも達に同社の即席ラーメンを配布していただけることになった。

 このような支援は、2年前から続けていただいているが、それまではベトナムからラオスへのラーメン箱の搬入が大変な手間と費用であった。それが今度は、すでに同社の製品をラオスに輸出していて、ラオスの代理店から直接に小学校や中学校に届けていただけることになった。同社のラオス輸出は好調であり、ラオス向けの新製品を発売するので、その宣伝もしたいということであった。このように相互に利益のあることは、まさにWIN-WIN戦略の実践である。同社と浪江社長のご厚意に深く感謝を申し上げたい。

 その後にホーチミン市商工会議所のフン副所長に面会した。もう彼とは10年以上のつき合いになる。以前から紹介している私の拙著には、私自身のベトナムの思い出を書いた部分があるが、その中にフンさんのことを書き忘れた。このように不備や不十分さが多々ある文字通りの拙著である。こういう場合、公刊したらしかたがない。その後は、次のことを考える。このように気持ちを切り替えよう。

 午後は、マーケティング大学学長であったクエ先生にお目にかかった。クエ先生は、今年の1月に同大学を退職され、現在は、ベトナムのマーケティング協会の副会長で事務局長という以前からの肩書きだけになられている。

 クエ先生との出会いは、笹川平和財団のベトナム高等教育支援の仕事をしたときであるから、1996年。ちょうど10年前ということになる。それ以来、流通科学大学も訪問された。先生を私が存じあげてから、先生は短期大学を大学に昇格されたし、マーケティングの事例研究の著書も出版された。さらにベトナムでマーケティング協会を創設された。私の知る限り、このような功績を残されたと思う。日本語であるが、そのご苦労に敬意を表したいと思う。新しい学長には、副学長であったミー先生が就任されたそうである。ミー新学長も以前から存じ上げているから、今後も同大学との交流を発展させたいと思う。クエ先生、ご苦労さまでした。

 ホーチミン日本商工会事務局の諏訪さんにもお目にかかった。板東あけみさんの「母子健康手帳シンポジュウム」の協力をお願いするためである。親切に対応していただいて感謝を申し上げたい。諏訪さんとは、共通の知人・先輩である松下電器の前ベトナム社長であった藤井さんの話で盛り上がった。藤井さんは、現在はハノイのカトーレック社長をされているが、7月にお目にかかったばかりであり、その近況をご紹介した。初対面の女性である諏訪さんと親しくお話しできたのは、すべて藤井さんの人徳である。

 さて次は、どこを訪問しようか。通訳と助手を兼ねてくれている大学院生フンさんと相談して、「フォー24」社に電話した。フンさんが、「フォー24」の店を日本で展開したら、儲かると思うと言うので、それなら電話してみなさいと私が指示したのである。お金は、ビジネスのアイデアが良ければ、後から付いてくると、自信ありげに言ったのだが、内心は不安であった。そうはいうものの、何と言っても不肖私は「ベンチャー起業論」を先日まで講義していたのである。

 この「フォー24」は、ベトナムの代表的な庶民料理である「フォー」(お米をつかった麺のベトナム風うどん)のチェーン店である。クリントン大統領や小泉首相も、フォーを食べるために訪問したほどに、清潔感ある近代的な店作りである。このチェーン店を日本で展開することは、その新奇さだけでも注目されると思うが、ともかく味がよい。余り人気のない経営不振の日本のラーメン店が、「フォー24」のチェーン店に加盟すれば、出店コストも低く抑えられるであろう。ベトナムで私は毎日フォーを朝食で食べているが、それでも飽きない。日本人の味覚に合う。

 せっかく電話したのだが、残念ながら、すでに日本には出店契約をしているので、面会しませんと言われた。もっと私がベトナム語に堪能なら、それはそれとして、話だけでも聞かせてほしいと粘るのだが、残念であった。ともかく、この「フォー24」の日本出店は間違いないことが確認できた。

 ところで、もっとベトナム語を勉強するという話で言えば、今日の朝食で米国ダートマス大学の歴史の助教授であるミラー先生と話した。彼は「シンチャオ」と話すので、私が国はどこですかと質問して、その後にベトナム語での会話が弾んだ。私のベトナム語の限界が来ると、次に英語での話に切り替わり、その後に私の英語での会話の限界が来ると、お先に失礼と私は退散することにした。彼の研究テーマは「ベトナム戦争」であり、南ベトナム政府の崩壊の経緯について調査に来ているそうである。

 米国には、1ヶ月~2ヶ月でベトナム語を習得するための集中研修コースがあると聞いている。こういうことが、いかにも米国らしい。その意味は、必要があれば、集中して徹底してやるということである。本当に時間があれば、こういうコースに私も参加したいと思う。いつも本気でベトナム語を勉強しようと思うのだが、日本で時間がない。またベトナムに来れば、ベトナムの仕事をしてしまう。そこでベトナム語を学ぶために米国留学する。これを今後の計画の中に入れておこうと思う。

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2006年8月 8日 (火)

ホーチミン市2日目:ベトナム人の実力を考えさせられた

 午前中は、インターネットカフェで仕事をした。日本に国際電話をかけたが、インターネット経由の電話だと、5ドルで180分間話せる。カードを買って、その番号とPIN番号を入力すればよい。ベトナムの国際電話は高いと言われてきたが、それは過去のことである。

 その後の昼食は、ベトナム株式投資家として既に数年前から活躍されているP氏ご夫妻とご一緒した。奥様は2回目のベトナム訪問ということであったが、P氏は何度もベトナムに来られて、ベトナムの証券会社に口座を所有され、さらに営業マンと親密に接触され、IPO(初回公開)株の購入も進められているそうである。P氏はベトナム在住の経験もなく、ただ旅行者として訪問した時に、ベトナム経済の成長性に魅力を感じ、それまでの中国株投資の経験を生かして、ベトナム株式投資を始められたそうである。まさに「国際投資のプロ」なのだが、お人柄は円満そのものである。そういう雰囲気が、まさに「プロ」なのだと思う。

 昼食後には、ホーチミン市人民委員会の越僑委員会チュン会長にお目にかかった。越僑(海外在住ベトナム人)の投資動向を調査するためである。日本人は、越僑の資金がベトナムに送金されて、それがベトナム経済の活況を支えているという先入観がある。確かに、家族に対する送金は公式に年間30億ドルであるが、非公式な送金を含めると総額60億ドルとみなされている。これは毎年10億ドル程度増加しているそうである。これは大きな金額である。これらが不動産投資に向かっていても不思議ではない。

 しかし、国内ベトナム人の可処分所得を過小評価してはいけない。チョン会長のお話によれば、越僑の送金は毎年増加しているが、投資についてはベトナム人が大きい。越僑の投資は、それほど大きくないということである。この委員会は、越僑の投資などの窓口になる公的機関であるから、その実態を的確に把握していると考えられる。

 昨日のG7マートのタオ副社長もベトナム人である。越僑資本というわけではない。また最近の工業団地の造成ブームを考えれば、それらの土地の使用権を売却したベトナム人(卑近にいえば「土地成金」)が、最近の消費ブームを支えていると考えられる。また越僑は、ベトナム株式投資にも慎重と言われている。ベトナムのことを知っているだけに、ベトナムの投資は慎重とみなすことができる。

 以上、ベトナム人自身の所得向上が、外的な越僑資本よりも消費経済に与える影響は大きくなっていると推察される。

 夕方に、ビンズン省ビンズン市共産党委員会ディエップ氏と話をした。共産党の汚職問題の対策は、これまでは掛け声だけだったが、今国会で成立した汚職防止の法律が7月1日から施行され、地位に関係なく法律で汚職は取り締まられることになったそうである。また、WTO加盟によって市場経済は加速するが、社会主義の目標は堅持されることも指摘された。しかし、そのための方法は、唯我独尊的な独自の路線を採用するのではなく、周辺国・地域との協調や調和を考えながら、徐々に目標に向かうと言うことであった。これは、現在のベトナム共産党の公式な見解と考えられる。さすがに理論的にしっかりしている。

 ディエップ氏が拙宅でホームステイしたのは、2000年ということであった。私は正確に忘れてしまっていた。彼の外国訪問は、日本のほかに中国であり、日本の印象は鮮明であった。拙宅の大きな冷蔵庫にはビールが何本も並んでいたとか、家の中にはベトナム製の絵画や置物がおいてあるとか、いろいろ詳細に覚えてくれていた。これには感激である。お世話して本当によかった。うれしい対面であった。

 共産党員も会社の経営をしてもよくなったので、さらに自分も株式投資を始めようかといった話もした。一般に株式の知識を普及させることは、ベトナムでは緊急課題である。最近のベトナム株式市場は軟調なのであるが、それについて「企業業績がよいのに株価が下落する珍しい国」という指摘がある。ベトナム人株主が「狼狽売り」をするのである。少し株価が下がれば、すぐに売る。長期的な投資の観点が欠けているように思う。

 ビンズン省とドンナイ省は、ホーチミン市郊外の2大工業団地を抱えている。進出企業が増えるにつれて、労働力不足や賃金の上昇が懸念される。さらに地方都市に工業団地が建設されれば、その地元に帰省する労働者も増加し、それが労働力の減少を加速することも予想される。ディエップ氏は、ホーチミン市国家大学経済学部の大学院に夜間に通っていて、現在は修士論文を執筆しているそうである。そういえば、その研究テーマを聞き忘れた。政権党であるベトナム共産党員の質的な高さを実感したし、それと同時に懐かしい再会が新たな元気を与えてくれたように思う。以上、今日はここまでです。おやすみなさい。

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2006年8月 7日 (月)

ホーチミン市の初日:めちゃ忙しい

 朝9時にJETROの吉岡所長にお目にかかった。前任の中野所長にも大変お世話になったが、2カ月前に交代されて、新任の吉岡所長から最近の不動産ブームのお話など、具体的な情報を頂戴した。JETROホーチミン市の来訪客は年間で400名を超えるそうである。これは世界のJETROの中でも最多に属する数字である。しかも、この数値には、私のようなゲリラ的に訪問する日本人は含まないそうであるから、さらに実数は増える。このことからも、第2次ベトナム投資ブームを実感できる。

 その後、JVCC(日本ベトナム協力センター)の伊坂所長を訪問した。JVCCは、ベトナムにはホーチミン市とハノイの2ヶ所あり、いずれも貿易大学の敷地内に位置する。日本とベトナムの交流活動の拠点としてJICAの支援で設立された。具体的には、日本語とビジネスをベトナム人に教育している。また、かなり充実した日本語の文献を備えた図書館があり、その中には、留学生向けに日本の大学情報も多数含まれている。伊坂所長には、同センターで研修を受けたベトナム企業の中から縫製企業をご紹介いただいた。

 今回の私の研究目的が、WTO加盟の影響と対応を企業レベルで調査し、その結果をベトナムとラオスとカンボジアで比較することである。ベトナムは多様な産業を有するが、ラオスやカンボジアは縫製産業が唯一の有力産業である。この意味で、縫製産業に焦点を当てることにしたのである。伊坂所長のご尽力に感謝を申し上げたい。

 午後からは、「G7マート」2店舗を訪問。女性店員や店舗オーナーにインタビューした。このG7マートは、本年7月11日に全国一斉に500店舗をオープンさせたコンビニエンスストアである。このコンビニについては、このブログでも紹介しているし、私の著書でも説明している。ベトナムで大成功したチェーン店チュン=グエン=コヒーの多角化戦略の一環である。このG7マートについては昨日の夜のHTV(ホーチミンテレビ)でもニュースで紹介されていたし、偶然にも、ベトナム経済新聞の記者が取材に来ていた。私にもコメントを求められたので、日本のコンビニと違って、冷凍冷蔵食品が少ないことや、日用雑貨のないことを指摘した。まだまだ品揃えが十分でない。このG7マートについては、別の機会により詳細に報告したいと思う。

 さらに夕方5時30分から8時近くまで、G7マート本社のタオ副社長とシンガポールに留学したことがあるクアン社長補佐にインタビューした。これはインタビューというよりも会議であった。相互に意見交換し、私からの助言も多数求められた。

 ホテルに帰ってグッタリであるが、元気を振り絞って、ブログを書いている。以上の訪問には、ちょうど帰国中の流通科学大学大学院のルアン=キム=フンさんに通訳をしてもらった。彼女は、ベトナム企業における5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の導入実態や問題点を修士論文にまとめるために、いくつかのベトナム企業を調査している。今後、私と一緒に調査をすることになった。彼女がいなければ、これだけの過密な調査は不可能である。

 明日は、海外ベトナム人(越僑)協会を訪問し、その投資状況をインタビューする。その後に、ビンズン省を訪問する予定である。ビンズン省では、ベトナム共産党青年同盟書記のディエップ氏に再会することが楽しみだ。彼は、4年前にJICAの支援で研修生として日本を訪問しており、私の自宅に2泊3日のホームステイをした。その後に私が、ビンズン省の工業団地に入居しているリンナイの工場を訪問した機会に、ほんの10分程度、同社の工場前で再開した。今回は、それ以来である。彼は、英語が十分ではなく、私はベトナム語が十分ではない。それでもコミュニケーションできていたが、明日は、フンさんが通訳してくれるので、ゆっくりと話ができる。彼は、私のことを覚えていてくれて、ぜひ会いたいと言ってくれた。こういう再会は感激である。

 なお今日の昼食は、日本料理店「どらえもんかか」ですませた。ホーチミン市に15年間お住まいの細井康久さんが経営されており、日本で坂東あけみさんから、細井さんを紹介していただいた。細井さんは、さすがにホーチミン市のことは何でもご存知である。その気さくな性格は、店の中でお客がお互いに話ができるような雰囲気を作り出す。こういう店はめずらしい。

 なお坂東さんが事務局長となり、大阪大学大学院とベンチェ省人民委員会が主催する「第5回国際母子健康手帳シンポジュウム」の開催については、JETRO吉岡所長のご紹介で、ホーチミン日本商工会事務局の諏訪さんに相談することになった。私は、このシンポジュウム開催の顧問をしているので、何とか現地の日系企業からのご寄付やご協力を賜ればと思う。諏訪さんは本日はご不在であったから、近日中にお目にかかりたいと思っている。

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2006年8月 6日 (日)

ホームカミングデイの開催:卒業生・退職教員との交流

 流通科学大学で初めて、昨日にホームカミングデイが開催された。卒業生や退職教員を合わせて300人が集まった。通常の同窓会を英語で言うと、このようになるのだろうか。余り詳細は知らない。

 懐かしい退職された先生方との交流は楽しかったし、卒業のゼミ学生の参加は5名であったが、話は盛り上がった。「先生のベトナムの本、サインしてくれたら買いますよ」などと嬉しいことを言ってくれて、全員が購入してくれた。 このようにして、厚かましい先生は「商売」を教育するのである。

 卒業生から新たに元気をもらったような気がする。ますます卒業生の活躍を期待したい。しかし私が一番、元気だったような気もする。自粛。自制。自省。自戒。

 実は、このブログを関空で書いている。今からホーチミン市に出発である。できるだけ毎日、現地報告をしたいと思う。以後、お楽しみに。

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2006年8月 5日 (土)

ベトナム外国投資ファンドの動向:まだまだ資金供給は不足している

 日本でベトナム投資ファンドと言えば、「ドラゴンファンド」(キャピタルパートナーズ証券)や「民営化ファンド」(ユナイテッドワールド証券)が有名であるが、それ以外のベトナム投資ファンドは合計14件ある。「VNFUND.doc」をダウンロード

 日本におけるベトナム投資ファンドは、日本の証券会社が資金を公募または媒介して集めているが、そのベトナムでのファンド運用管理会社は、ドラゴンファンドの場合はドラゴンキャピタル社(英国系)、民営化ファンドの場合はインドチャイナ社(米国系)である。このように残念ながら日系の投資ファンド運用会社が、ベトナムには未だ設立されていない。

 本来、金融証券市場には国籍がなく、資金は世界を自由に巡る。したがってファンド運用会社が英国系や米国系であろうが、日系であろうが、運用成績がよければ、国籍は無関係である。しかし日系運用会社の場合、すでにベトナム進出している日系製造企業を顧客とするような新しいファンド商品が提供できたり、日本人投資家に対するきめ細かいサービスが提供できたりすることが期待される。

 さて上記の表の中で最大の資金量は、3億2千万ドルのVEILである。この管理会社はドラゴンキャピタル社であり、同社が管理運用する上位3つの資金量を合わせると、5億3100万ドルに達する。さらに14の投資ファンド総額は、13億570万ドルである。

 インドチャイナキャピタル社の資料によれば、株式市場の時価総額が20億ドル、債券市場のそれが28億ドルと言われている。それらが3年以内には、それぞれ150億ドル、200億ドルに拡大すると予想されている。

 このような株式市場の拡大は、個人投資家のみならず投資ファンドの増加がますます期待されることを意味している。

 たとえばKITC(韓国投資証券会社)は、ベトナム資本市場に主に投資するために「ベトナム成長ファンド」を設立した。新しいファンドの初期資金5千万ドルは、韓国最大級のファンド管理会社であるKITMC(韓国投資信託管理会社)が運用する。同ファンドは、株式会社化された国営企業や民間企業、株式・債券市場を対象にしている。

 KITCのホン・サン・イル取締役は、次のように述べる。ベトナムでさらに投資ファンドを設定するために、ニューヨーク・ロンドン・香港の子会社を通して韓国・米国・欧州の投資家から資金を調達する。ベトナムでは、駐在員事務所か子会社の設立を模索している。

 健全な株式市場の発展のためには、市場拡大に合わせた資金供給の増加が必要である。そのために個人投資家を増加させると同時に、投資ファンドの設立が促進されなければならない。

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2006年8月 4日 (金)

ベトナムビジネス新著が店頭に:柘植氏の著書には負けた?

 昨日、紹介した拙著が紀伊国屋書店・梅田の店頭に出された。2冊あったが、アジア経済などのコーナーにひっそりと置かれていた。これに対して、柘植久慶『ヴェトナムと組むメリットを知らない日本人』PHP研究所(2006年8月9日)は、入り口の経済書・新刊コーナーに平積みされていた。

 この柘植(つげ)氏は、私のお気に入りの映画『戦争と人間』に出てくる柘植中尉(高橋英樹)を思わせる職業軍人である。より正確には、外人部隊に所属されてきた方である。略歴を見ると、慶応義塾大学在学中から、「コンゴ動乱やアルジェリア戦争に参加。1970年代初頭よりアメリカ特殊部隊に加わり、ラオス内戦に従軍する。1986年より作家活動に入る」と書かれている。

 さらに本文のまえがきには、「北京語ほどではないがヴェトナム語を理解するし、味方として南ヴェトナム政府軍と一緒に戦い、敵として北ヴェトナム政府軍と交戦した経験」がおありになるそうである。

 以上のように説明すれば、同書の内容は堅苦しい戦記物のように思われるのだが、そうではなくて気楽に読めるヴェトナムの歴史や現状を示したガイドブックになっている。その論調も、総じてヴェトナムに好意的である。中国がダメだから、それに比べてヴェトナムは良いという気持ちが反映しているようだ。

 写真も豊富で読みやすく書かれている。ただ、ここで考えることは、どのような気持ちで柘植氏が同書を執筆されたのかということである。私の場合、拙著で明確に書いたが、「ベトナムとベトナム人に対する感謝の気持ち」が執筆の根底にある。その理由は、ベトナムから「夢」をもらっているからである。

 ベトナムやラオスで実戦経験のある柘植氏は、今日のヴェトナムに対して、かつての戦友に会うような好意をもっていることは理解できるが、ヴェトナム人を殺害したであろう過去の自分を含めたより深い心境を知りたいところである。

 他方、いわゆる評論家や研究者の場合、その対象を少し前はタイ、次は中国、そして次はベトナムと渡り歩くような人々がいる。その時々のタイムリーな研究をしているのであるが、私の印象では、こういった人々は、それぞれの現地の人々から見れば「通り過ぎる人」である。

 外国を対象とした研究の場合、ビジネスの場合も同様であるが、その外国人に対して、どのような立場をとるかという問題は重要である。単に「通り過ぎる人」や「過去を振り返らない人」が、その外国人に受け入れられるのであろうか。

 その場その場で適当な時間を過ごす。その時間は、本人にとっては真剣であるが、外国人から見れば、そういった人々は、どうせ帰国する人である。真剣なだけに迷惑なことも多いのではないか。外国人との信頼や友情は、長い年月をかけて醸成される。私は、このように思う。

 いずれにせよ、ベトナムが注目されるのは結構なことである。相乗効果があればよい。柘植氏の著書について、最大の疑問は、その表題「ヴェトナムと組むメリットを知らない日本人」の意味が明瞭でないことである。メリットを知っているからこそ現在、中小企業を中心にして「第2次投資ブーム」になっていると思われる。WTO加盟を直前にして、ベトナムのメリットはますます明示されて来るであろう。

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2006年8月 3日 (木)

ベトナム女性ラム・ミー・リンさんのこと:新刊書の中で再会

 新刊書、上田義朗・ブレインワークス『乗り遅れるな!ベトナムビジネスがいま熱い』カナリア書房、2006年8月10日、1890円(税込み)の見本版が手元に届いた。このブログが本に編集されたことになる。「ブログを読んだから、本は買わなくて良いですね」という友人がいるが、こういう人が日本の出版文化を衰退させている。情報は同じでも、媒体が異なれば、読者にとっては新しい印象や発見がある。

 本書については、大学の講義期間中の執筆であり、非常に忙しかった。そのために推敲や校正が十分にできなかったのが残念である。私が執筆した前半部分は、やや重複があり、さらにハノイとホーチミン市の相違点など書き落としもあった。タイとベトナムを結ぶ「東西回廊」や、広州とハノイを結ぶ陸路の紹介もしたかった。さらに最新の統計資料も渉猟できた。

 いろいろ後悔や反省点はあるのだが、これらの改善と教訓は次回に反映させたいと思う。この著書が評価されるとすれば、私の執筆部分ではなく、後半の企業事例の部分である。ベトナム進出企業8社における「成功の秘訣」が率直に語られている。

 前半と後半は、それぞれ独立しており、私が後半に配慮して原稿を書いたわけではない。それでも共通点は多々ある。要するに、その共通部分・重複部分が、ベトナムビジネスの本質的な特徴と言えるだろう。

 後半で紹介されたエースコックベトナムの浪江社長とは、7月にお目にかかったばかりである。ココ・インターナショナル初代社長の佐々木さんには1994年に初めてお会いし、1998年のハノイ滞在当時には、同社の部屋を借りようかと考えたほどであった。ジーエービービーの余社長とは、各種のベトナムセミナーでお世話になり、G.A.コンサルタンツの勝本社長のご親戚は私の自宅のご近所にお住まいである。

 以上のように、私にとって親しみのある企業が本書に登場する。ただし企業事例について事前に私と打ち合わせはない。共同執筆のブレインワークス社の独立した取材である。この意味で読者は、複数の人々からベトナム進出・ベトナム投資の助言を受けているような印象を受けるかもしれない。その中に「矛盾」があるとしても、それは当然である。それぞれの見解・主張の基礎になっている観点や経験が異なっているからである。したがって矛盾があっても、それぞれの文脈において、それは正しいと解釈されなければならない。

 さて、本書の184ページで重光商事・井上社長が次のように述べている。「2001年8月、ハノイ外国語大学を卒業したばかりのベトナム女性ラムミーリンさんを採用しました。彼女にベトナムからの輸入業務全般をまかせられるようになり、細かい意思の疎通が可能になったことも、ベトナムからの輸入事業を安定して拡大できた大きな要因のひとつです」。

 井上社長と私は面識がないが、このラム・ミー・リンさんとは旧知の仲である。私や私の家族は、いつも「リンちゃん」と呼んでいる。1998年のハノイ留学時に私の宿泊先の近くのイタリアレストランで彼女はアルバイトをしていた。日本語と英語ができて、笑顔が魅力の利発な大学生であった。

 その後、家族ぐるみのつきあいが続いている。ベトナム人なら一度は参拝するという「ホン寺」に、私の妻と子どもを案内してもらった。重光商事に就職するとき、彼女から私に相談があったが、それは来日を決断した後の確認であったように記憶している。

 来日後、リンちゃんがハノイのご両親を日本に招待したときには、大阪・京都・奈良を案内した。彼女のお父さんは、ベトナム人らしからぬ「リベラル派」であり、娘の意思を最大限に尊重する方であった。リンちゃんから頼まれて、電気毛布を日本からハノイに持って行ったこともあった(注:冬のハノイはかなり寒い)。リンちゃんに限らず、ベトナム人は親孝行である。ベトナムで儒教精神は健在である。

 お互いの仕事があり、この2年間ほど会っていないが、そのリンちゃんと、同じ本の中で再会できるとは想像もできなかった。私の大学の教え子の中でも、このような関係はあまりない。上記の井上社長の話を読めば、自分の教え子の成長をうれしく思う気持ちになる。そこで次に、おせっかいながら「結婚相手を探してやるぞ」といった意欲が出てくる。

 本書の出版日は、8月10日となっている。この日は、リンちゃんの誕生日である。慣れない日本の生活や仕事における彼女の苦労と努力の成果が、上記で引用した井上社長の数行の文章の中に込められているように思う。お世話をされた井上社長にも、ぜひお目にかかりたいと思う。誕生日を記念してリンちゃんに本書を捧げる。

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2006年8月 2日 (水)

ベトナムの原発建設:ニントゥアン省で少し心配なこと

 『日本経済新聞』(2006年7月24日)は、原油価格の高騰が長期化する中、原子力発電所の建設について、「経済成長で電力不足が深刻化するベトナムは既に稼働時期を視野に入れた計画を策定」したと報道した。

 「ベトナム政府は原発の建設候補地を中南部のニントゥアン省に決定。20年の稼働を目指し、約30億ドルを投じ百万キロワットの原子炉2基を建設する。07年までに国際競争入札を実施する考えだ」。

 Dsc02958 写真は、ニントゥアン省の省都であるニンチュウ市の海岸である。ここは、リゾート開発団地として計画されており、すでにベトナム人向けのリゾートが操業している。国営観光会社の最大手であるサイゴンツーリストも、新しいホテルを建設中である。

 この海岸から自動車で30分も移動すると、一面の塩田地帯となる。このブログでも紹介したファンランである。このニントゥアン省は、PPAs(参加型貧困支援)の調査対象となっており、その貧困は改善されつつあるが、全国的に所得水準が低いとみなされている。

 参照:Poverty Task Force, Ninh Thuan, Participantory Poverty Assessement, July-August 2003, The Central for Rural Progress and The World Bank in Vietnam.

 このような事情を背景にして、貧困対策のために原発を誘致するという意図がニントゥアン省にあったと思われる。しかし原発を誘致することで、果たしてどのような影響があるのだろうか。その建設によって一時的に雇用は増加するだろうが、周辺の自然環境に及ぼす影響が十分に事前評価されなければならない。リゾートや塩田に対して原発は問題ないのであろうか。

 たとえば日本の福井県では、原発と海水浴場が併存している。原発の安全対策は万全と言われている。しかし、私の小学生時代の臨海学校の開催場所であった「高浜」に原発が建設され、それ以降は場所を別に移転している。この移転は心理的な不安に基づく影響であると思われる。

 以上、原発建設・経済発展・自然環境について十分に事前評価できる企業の応札が、原子炉建設の入札では望まれる。当然であるが、原発はコストよりも安全性が最優先である。さらにベトナムにも地震があるので、それにも注意が必要である。

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2006年8月 1日 (火)

ベトナム共産党の汚職追放:その強い決意は本気か

 多数のベトナム人とつき合っていると、明らかに「ベトナム共産党員」である人、そのようだと想像できる人、党員ではないが共感・支持している人、まったく政治に関心のない人に分類できるように思う。

 「あなたは共産党員か?」という質問は、日本の場合、思想信条の自由を侵すタブーの質問である。もっとも日本の共産党は野党であるから、ベトナムと同じような状況を考えれば、「あなたは自民党員か?」という質問と類似している。いずれにせよ、こういう質問は避けるべきであるし、そういった質問があったとしても、それは信頼に基づく人間関係が前提とされるものである。

 その人が何党に所属しようが、あまり私は気にならない。その人の人間性それ自体が人間関係の形成にとって重要であると考えている。たとえば「自由民主党」といっても、まったく「自由」も「民主」も理解・実践できていない場合がある。たとえば国歌斉唱の強制などは、どう考えても自由や民主とは相容れない。私個人は、所属するライオンズクラブで国歌を歌っているが、それはクラブのルールだからである。任意のクラブのルールと、国民全員に斉唱を強制することとは次元が異なる。後者に私は反対である。

 さて、本年4月に開催された第10回党大会で、ベトナム共産党が「汚職追放」を強調し、それが「党の存亡の危機」を意味すると指摘された。その後の6月末に国家主席・首相・国会議長が交代し、7月24日~29日にハノイで第3回中央委員会総会が開催され、さらなる汚職防止強化が強調された。

 マイン党書記長は、「汚職を行い、国家・集団・国民の財産を浪費することは泥棒行為であり、誰もがこれを憎み、根絶しなければならない」という故ホー・チ・ミン主席の言葉を引用し、「汚職を行った者は、どのような職務であろうと、在籍しているか退職しているかを問わず断固として処分する」という強い決意を明らかにしたそうである。

 このような汚職強化の取り組みは、単なる「題目」だけではなく、本気とみなさなければならない。私見では、ベトナム共産党は国民の支持があってこそ一党独裁を維持できているのであり、経済成長の基礎としての政治的安定を保っている。

 政府における汚職の多発・深刻化は、ある限度を超えると、どのような政権であっても、国民に強く批判され、その時の事情によっては政権が崩壊するということは歴史の教訓である。

 ベトナム共産党は、この限度に国民の認識が近づいたことを感じているのではないか。だからこそ「党の存亡の危機」という表現を使うのであろう。このように考えれば、今年からの汚職防止の取り組みは「本気」と考えなければならない。

 このことは、進出企業も理解しなければならない。つまり「無理な要求をして、汚職を促進しない」ということである。いわゆる贈収賄事件では、受け取る側だけでなく、贈る側も罪に問われる。ベトナムが「本気」になって「汚職防止」というなら、こういった法整備が急務であると思われる。

 

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