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2006年6月 9日 (金)

恐るべき「外為法」:1980年までの日本の話

 流通科学大学では「オープンクラスウィーク」という制度がある。ほかの先生の講義を自由に聴講して、相互の講義方法の改善に役立てるという趣旨である。今回、国際金融論を担当されている片木進教授の講義を聴講した。片木教授は、日本銀行のご出身であり、1994年の私のベトナム訪問時には、ベトナム国立銀行・総裁顧問としてお話を伺った。その当時、まさかその後に同じ大学の同僚教授になろうとは想像もできなかった。

 片木教授の講義で印象に残ったことは、1980年まで続いた日本の外為法(外国為替及び外国貿易管理法)が、ベトナム以上に厳しい規制をもっていたことである。本来、前述の「オープンクラスウィーク」の講義公開では、講義内容についてはコメントしないことになっている。あくまでも講義方法に限定した改善を目的としている。しかし以下は、単純に講義を紹介するという趣旨であるから、片木教授にご容赦を賜りたい。

 1949年~1980年までの外為法では、外国との経済取引(外貨の両替)を原則として禁止しており、すべての外為取引は外国為替公認銀行を通して行われることになっていた。これは戦後日本の経済成長を支持するための措置であった。すなわち①「内外市場分断規制」(=為替管理)と②「業務分野規制」(=専門銀行制度・為銀主義)によって、日本市場は手厚く保護されてきたのである。

 企業や個人が、海外取引や国内外貨取引をする場合、すべて事前の許可が必要であり、これに違反すると、3年以下の懲役または100万円以下の罰金であった。このような厳しい法律が、1980年まで有効だったのである。その詳細に見れば、次の6点の禁止事項がある。

 ①外国銀行口座の保有禁止、②居住者間の外貨決済禁止、③居住者間の外貨売買禁止、④すべての外貨は2週間以内に為銀に売却、⑤外貨集中制度、⑥内外証券取引貸借取引の禁止。

 1999年当時のベトナムでは、ベトナムドンへの外貨の強制転換が進出企業にとって不評であった。特に委託加工生産の企業では、製品輸出の外貨を部品輸入のために使用してきたが、その外貨をベトナムドンに転換しなければならない。しかしこれは、上記の日本の旧外為法では、④に相当する規則である。それによれば、2週間以上の時間差のある輸出と輸入の取引の場合、わざわざ外貨を日本円に転換しなければならない。

 以上のように考えれば、ベトナム進出の日本企業がベトナム政府に苦情を述べた外国為替政策は、かつての日本政府の外為法の学習の成果とみなすことができる。ベトナム政府を批判することは、かつての日本政府を批判することである。もし当時、私がベトナム政府担当者なら、このように反論したと思う。

 日本が外為法を30年間以上も維持して、その間に国内産業の育成と外貨準備を蓄積してきた。これに対してベトナムは、本年が「ドイモイ」開始後20周年を経過したに過ぎず、WTO加盟で一層の市場開放を迫られている。もちろん現在では、前述のベトナムドンへの外貨の強制転換も廃止されている。

 これらの事情を考慮すれば、ベトナムは、市場開放の圧力の中で国内経済の育成のために大健闘しているとみなされる。日本の経済成長からの教訓をベトナムが学ぶことは有益であるが、日本のようにベトナムには時間的な余裕がない。日本が経済成長を優先してきた時に、ベトナムは国家の統一、民族の独立のために戦ってきたとみなされる。その時間はけっしてムダではないし、かえってベトナムの誇りである。しかし経済成長にとっては今日、市場開放の中で自国産業を育成するというベトナム固有の課題に直面している。これは日本も経験したことがない困難な課題と言わなければならない。 

 片木教授の講義のおかげで、以上のようなことを考える機会がもてた。感謝である。

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