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2006年6月30日 (金)

やっと解放されました

 今日からブログを再開します。

 とりあえず原稿を「カナリヤ書房」に出しました。現在、疲労と解放感を楽しんでいます。

 昨日、以前に注文していたDVD「戦争と人間・3部作」が自宅に着きました。これから、ゆっくり見ます。わが青春の映画です。この映画の紹介は、ブログに掲載予定です。

 空白の日々を埋めながら、ブログを前進させます。ブログ連続は、私にとって「認知症防止」の決め手です。そのように自分で決めたことです。

 いろいろ書きたいことが多数あります。今後とも、ご愛読をお願いいたします。

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2006年6月19日 (月)

原稿執筆のためにブログをお休みします

 この週は、これまで連載中の「ベトナム情報1~15」を著書にまとめるために、ブログはお休みします。その後に、空白の日を埋めることとし、毎日更新という記録は継続できるようにします。

 以上、ご了解ください。

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2006年6月18日 (日)

倉敷にゼミ旅行:急成長好業績企業・大黒天物産を訪問

 土曜日に倉敷市に本社がある大黒天物産株式会社を訪問した。店舗見学と会社説明を快く引き受けていただいた総務部人材課の井手元(いでもと)課長と松嶋マネージャーに感謝を申し上げたい。同社については、http://www.e-dkt.co.jp/を参照。この訪問にはゼミ生11名が参加した。

 Dsc07514 写真は、倉敷駅の構内に「神戸・流通科学大学」という看板があり、その前での集合写真である。看板には「神戸で学ぶ」というキャッチコピーが書かれている。神戸の魅力が周知されれば、それに伴って受験生が増えるという趣旨である。今年は神戸空港も開港したし、兵庫国体も神戸市を中心に開催される。バスケットボールの試合会場は、流通科学大学の4月に竣工したばかりの体育館である。受験生の増加を期待したい。なお写真をクリックすれば、大きく鮮明に見ることができます。

 大黒天物産の店舗名は、ラムー(LAMU)ディオ(DIO)である。同社や店舗については、後日に紹介したいが、ここではゼミ旅行の経緯を述べておこう。4月にゼミの討論用教材として『日経ビジネス』2006年2月20日号を読んだ。この特集記事「人口減に克つ流通」の中で大黒天物産が掲載されていた(42ー43頁)。その姫路の店舗LAMUを利用している学生がいたので、それでは、もう少し詳しく話を聞いてみようということになったのである。

 ゼミ旅行としては、昨年に現在の4回生と韓国を訪問したが、この3回生とは初めてである。学生の旅行なので経費削減を最優先し、10名以上の団体旅行割引を利用した。この割引は助かるのだが、新幹線ではこだま号しか利用できず、普通よりも長時間の旅になった。もっぱら車内では睡眠ということになり、盛り上がりに欠けたし、せっかくの文化都市・倉敷訪問であるにもかかわらず、大原美術館すら訪問しない学生がいた。これも残念である。

 私にとって大原美術館の訪問は3回目である。この美術館の雰囲気は好きだし、創業者の大原孫三郎について、城山三郎『わしの眼は十年先が見える』新潮文庫を読んだこともある。その中で「資本家は労働者を救済することができるか?」という問題設定があったように思うのだが、詳細は忘れてしまった。資本家・経営者として利益を上げることが、結局は労働者の利益になるのだが、それを忘れると双方の利益が損なわれるといった内容があったように記憶している。

 大黒天物産の企業訪問を中心にしたために、文化的な活動が欠けたゼミ旅行であった。これが反省点である。次のゼミ旅行として、ラオス清掃ボランティア活動の参加を学生に促しているが、もちろん、これは強制ではない。年齢も大学も問わず、自由に参加してもらえるのが、このラオス清掃ボランティア活動である。そろそろ、この説明会の準備をしなければならない。いろいろと多忙である。

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2006年6月17日 (土)

株式会社あきんどスシロー:上林さんの熱い講義に感動拡がる

 株式会社あきんどスシローの取締役・業態調査室長である上林(かんばやし)孝治さんは、この4月から現職であり、それ以前は人事担当取締役であった。これまでに学生の採用時に何十回も、同社の経営理念や求められる人材像を語ってこられた。同社で最年少の取締役に就任された自らの体験と自信を背景にした上林さんの語り口は熱く、講義終了後にも学生の質問が続いた。今回は、この実学講義「21世紀の業界展望」(6月14日)の論点を箇条書きで紹介する。なお、同社については、http://www.akindo-sushiro.co.jp/を参照されたい。

 Dsc075081.寿司は最強の外食の一つである。その理由は何か。「外食」の最大の競争相手である「内食」が難しい料理だからである。確かに自宅で寿司を握れる人は希有であろう。そのことだけでも外食としての寿司の優位性がある。

注:写真をクリックすれば、大きく鮮明に見ることができます。講師の上林さんに遠慮して、余り近づかない学生の様子が見えます。受講生の中心は2回生ですから、まだ初々しいです。

 2.人間は、頭の中で考えたこと以外は実現しない。予め自分で考えたことが、その通りになるかどうかのワクワク感が楽しい。そのために夢や目標をもとう。夢や目標があれば、それに対して夢中になれる。

 3.仕事での目標は何か。①年収1千万円、②経営スキルを身につける、③人気者になる。①⇒自分の生活を大切にするために実現したい目標。やはり「お金」は生活に必要です。②⇒人・物・カネ・情報について経営能力を向上させる。就職内定した時点から目標をもつ。③⇒人気者でなければ、部下の指導ができない。リーダーになれるように人柄を磨く。私見では、②と③の努力が自然に①に報われる。

 4.食料ビジネスで繁盛店の決め手は、Q(品質・旨さ)、S(サービス・おもてなし)、C(清潔感・雰囲気)、P(価格)である。この中でQが最も大切である。まずい食べ物にお金を出す人はいない。この全体からV(価値)が生まれる。Vは、全体の評価である。この値頃感・お得感が、顧客の満足度を高めることになる。

 5.スシローの回転寿司は、人件費と販売管理費の削減努力によって、材料費を販売価格の51.5%にまで高めることに成功している。さらに廃棄ロスを削減するために、ICチップでのコンピュータ管理システムを導入している。材料費を高めることは、寿司の品質=旨さを高めることになる。トロ・中トロなどのネタは、その品質と大きさについて同一価格なら他店に対して絶対の競争優位性がある。

 あきんどスシローは、2003年9月に東証第2部に上場を果たした。回転寿司は、ベルトコンベアなどの設備投資額が大きいので、上場によって資金調達は容易になったと思われる。またスシローは、いずれも直営店であり、フランチャイズの展開は考えていないそうである。衛生管理を徹底させるためにも直営にする方針であるし、さらにフランチャイズは本部が儲ける仕組みであり、加盟店のメリットは小さいという社長の考えがあるそうである。卓見であるかもしれない。

 同社の新しい挑戦でもあり、さらに上林さんの現在の仕事は、新しい業態の開発だそうである。現状に満足せずに、さらなる企業成長の機会を追究したいと上林さんは熱く語られた。伸びる会社はそこで働く人間も元気。このことを痛感した。スシローと上林さんのますますのご発展をお祈りしたい。

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2006年6月16日 (金)

グローリー商事(株)・採用担当者が語る:就活面接の極意

 通貨処理機・自動販売機の最大手販売企業であるグローリー商事(株)の人事部人材開発グループリーダー・八津谷吉博さんに、就職活動の流れに従ったそれぞれの留意点を講義していただいた。6月7日付け本ブログの続編である。

 1.自己分析:採用担当者は次の3点を知りたがっている。①どのような人間か? ②何ができるのか? ③入社後に何がしたいのか? したがって、それらに対応する次の自己分析をしてこそ意味がある。①自分の長所の特徴は何か?⇒他人から見た自分自身を見つめ直す(整理)。 ②卒業後に何をしたいか?⇒職種は3万種ある。それらの仕事を調べてみる(研究)。 ③どのような仕事をしたいか?⇒自分の能力をその企業で発揮したいと思うか?その企業の理念や価値観が自分と合っているか?自分と仕事を関連づける(連結)。

 採用担当者の過半数が回答したビジネスの基礎能力として必要な要素は、次の上位6点である。①問題発見能力、②行動力・実行力、③新しい知識・経験・努力を常に意欲的に求める、④状況の変化に柔軟に対応する、⑤語学力、⑥情報収集力。自己分析をするなら、これらの能力を発見するように努力する。それを具体的にアピールすればよい。

 2.自己PR:自分の考えを相手に伝えることが最重要である。留意点は次の3点である。①自己PRは自慢話ではない。②自己PRに正解はない。③内容はできるだけ具体的に。話すことは難しい。毎日練習する。1分間・3分間と時間を決めて、自分の考えを話す訓練をする。これを親や友人に聴いてもらって、その感想を聞く。自分の言いたいことが伝わったかどうか。もしギャップがあれば、それを分析する。このような練習はムダにならない。社会人として顧客と話す。短時間で要点を伝える。将来のビジネスでも重要なスキルである。

 3.志望動機:会社の公表情報を話しても、それは表面的で説得力がない。仕事の中身を研究する。そして、その会社で自分が働くイメージを強く訴える。イメージがわかなければ、その会社は自分に合っていないのかもしれない。または自己分析か会社研究が不足している。自分はこんなことができる。自分はこんなことをやりたい。なぜ努力できるのか。なぜ頑張れるのか。その裏付けを具体的に話す。たとえば「この商品はいいですよ」と言っても、具体的に何がよいのかを言わないと相手に伝わらない。要するに、「具体的なこと」を「伝える」。

 4.面接:採用担当者が面接でチェックしていることは次の5点である。①仕事の理解度、②志望の度合い・入社の熱意、③仕事に対する考え方、就職感、④性格・価値観、⑤コミュニケーション能力の有無。さらに面接では、次の3点に留意する。

 (1)面接では第1印象が大切。ドアを開けた時点で60~70%が決まる。身だしなみ・清潔感・自分らしさに注意する。最低限に必要なことは、他人に不快感を与えないことである。自分が良いと思っても無意味である。面接は自己基準でなく、他人基準で評価されるのだから、他人の評価に自分を合わせなければならない。ビジネス現場で顧客の印象が最優先になるのと、面接での他人基準は同一である。

 (2)面接は明るく元気が基本姿勢である。暗い印象の人と一緒に仕事したくない。学生らしくさわやかな態度を保持する。その場の雰囲気を読んで、明るく振る舞う。「これから一緒に働きたい人物かどうか」が、採用担当者の本音の選択基準である。営業活動でも、まったく同じ。この人と取引をしたいと顧客に思わせないと仕事が取れない。そういった人間性が求められる。

 (3)コミュニケーション能力が重要である。この本当の意味を理解する。もっとも理解している学生は少数である。つまり、会話のキャッチボールができるかどうかが問題である。コミュニケーション能力と言えば、「話す力」であると誤解している人が多い。本当は、どちらかと言えば「聞く力」がより重要である。話を「受けて返す」ことがコミュニケーションである。「だれとでも話せる」ということを強調する学生は、コミュニケーションを理解していない人と判断される。よく聞くことが面接でもビジネスでも重要と認識すべきである。

 多数の企業は、バブル経済の時期(1980年後半~1990年代始め)に痛い目に遭っている。このトラウマがあるので、求める人材のレベルを下げたくない。50人募集して、40人採用でもレベルを下げない。残りの10人は新卒にこだわらない。自己のレベル向上に努力してほしい。

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2006年6月15日 (木)

ノートまたはメモを取る

 講義・セミナー・研究会など、その講師の発言をノートまたはメモに記録することは重要である。故・中内功理事長は「メモ魔」として有名であったが、それは忘れるための作業だと言われていた。確かにメモやノートを取るから、安心して忘れることができる。

 昨日は、私の担当科目「21世紀の業界展望」が開講され、(株)あきんどスシロー取締役・上林孝治氏からご講義を賜った。その内容は後日に紹介するが、ここではノートの取り方の話である。

 講義中には私もノートを真剣に取る。そうしないと、このブログを書けない。それよりも重要な理由は、学生からの質疑応答や補足説明をすることが目的の「まとめ講義」が次週に控えているからである。

 隣の座席の学生を見ていると、ともかくノートを書く分量が少ない。板書された文字だけをメモすればよいと誤解しているのである。聴いたこと、見たことをメモする習慣ができていないのであろう。これは次回の「まとめ講義」で指摘し、学生の努力を促さなければならない。

 最近は、講義の音声を簡単に録音できるので、ノートやメモを書くことが必要ないと考えることもできる。しかし録音では、再び同じ内容を聴かなければならない。時間がもったいない。ノートやメモなら、一見で内容を把握できる。さらに録音は、講義の「著作権侵害」になる恐れがあるのではないか。

 私の場合、大学でノートやメモの取り方を教えてもらった経験はないが、今の大学では、そういった教育も必須であろう。この意味で、講義のレジュメを学生に毎回配布する先生もおられるが、それは学生に対する過剰サービスであるように思われる。レジュメを配布すれば、学生がノートを取る時間は大幅に節約できる。しかしそれでは、ノートを取る練習にはならない。

 安心して忘れるためにノートする。このように考えれば、ノートは真剣に取らざるをえない。なお、ノートとメモの相違は何か? 文書量の相違と私は単純に考えている。簡単な単語だけのメモから、その内容を補足してノートを完成させる。そのノートに基づいてレポートや論文といった文書を執筆する。

 こういったノート作成の作業スキルは、ビジネス界でも必携であるとみなされる。

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2006年6月14日 (水)

同時多重の仕事に対応

 4回生で就職活動をしていない学生がいる。卒業するための単位不足なので、前期は勉強に集中し、前期試験の終了後に就職活動を始めるという計画である。

 勉強に集中するというのは悪くないが、もう少し要領よく勉強と就活を同時にできないのか。こんな話を昨日のゼミの時間で話した。ほとんどの企業が採用終了という状況から、就職活動を始めるのだから、これからの暑い夏の苦労が想像される。それは彼の「自業自得」なのだが、そういった「逆境」をチャンスに転換できないのか?

 社会人になれば、同時多重の仕事は当然のことであり、それを次々に処理する能力が求められる。大学生に想像できる実例で話せば、勉強もして、部活もして、バイトもして、デートもして、ボランティアもして、趣味の音楽も聴くというような状況である。忙しいけれども充実している。こういう経験をした学生は、おそらく社会人になっても、テキパキと仕事を処理できると思われる。

 これに対して冒頭の学生を始め、最近の大学生の多くはノンビリしている。ノンビリと言うよりも、同時多重の仕事を経験したことがない。よく指摘されるように、勉強だけしていればよい状況が、子どもの頃から大学入学まで続く場合が多いのではないか。勉強優先ということで、家庭での仕事の経験をほとんどもたない。自宅の風呂やトイレの掃除もしたことがない。

 冒頭の学生は、寸暇を惜しんで就職活動を始めることである。今からでも企業に電話やメールして、事情を話して、可能なら説明会やセミナーの日程を変更してもらう。そういった就職活動に対する熱心さや気迫は、会社側にも伝わるはずである。勉強も就活も必死でやっている姿勢をアピールするのである。

 他方、多くの学生は大学に来ないで、就活に専念している。4月になってから1回も顔を見せない4回生もいる。就活に専念すると言って、勉学の手抜きをしていることは明白である。そういった学生を採用しているという認識も、企業採用担当者には必要であろう。

 入社後の同時多重の仕事の負荷に耐えられる人材、換言すれば、ストレスに強い人材の発掘が、これからの企業の採用方針にとってキーワードになるのではないか。

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2006年6月13日 (火)

ベトナム株式市場の疑問に答える:証券経済学会の質疑から

 6月10日(土)・11日(日)に証券経済学会・第65回全国大会が、埼玉県草加市の獨協大学で開催された。私は「ベトナム株式市場の現状と発展方向」という論題で報告し、丸淳子教授(武蔵大学)が司会、原田喜美枝助教授(中央大学)が討論者を担当して下さった。

 ここでは、その質疑応答を紹介する。当日に時間がなかったり、思いつかなかった回答もあるので、ここでそれを付加しておく。多数の方々からのご質問に感謝を申し上げたい。また討論者の原田先生は、かつてベトナム語を勉強されており、ベトナム滞在経験もお持ちである。年代的に言えば、私よりもベトナムでは先輩である。貴重なコメントを賜り、ここに改めて御礼を申し上げたいと思う。

 1.日本の直接投資が第2次ブームになっていると言うが、そのことと株式投資が魅力的ということとは別問題ではないか? 実物投資と金融投資の関係はどうなっているか?

 回答:当然、株式市場の発展のためには、その制度・規則の整備が必要であり、ベトナムの証券取引法は現在開会中の第9回国会で審議中である。したがって直接投資の増大が間接投資(金融投資)の増加に直接結びつかない。しかしベトナムの経済発展にとって、外国資金が有効で大きな役割を果たすことは間違いない。輸出・観光・ODA・越僑送金そして直接投資が外貨獲得の経路であったが、それに加えて証券投資(間接投資)の経路が昨年から拡大された。つまり外国人の株式所有が30%から49%に拡大されたのである。このような外貨の国内流入は、ベトナム経済発展に貢献しないはずはない。

 2.ベトナム株式市場について情報は極めて不足していると思われるが、それで安心して投資できるのか?

 回答:公表の財務データが完全に信用できないことはベトナム人のビジネスパーソンも述べている。しかし上場企業については、その信憑性はともかくとして、国際的に見て遜色ない情報公開はなされている。したがって直接の会社訪問や工場見学によって、より具体的な情報を収集することが望まれる。わずか上場銘柄は35社である。投資対象企業を訪問してみることは無理なことではない。さらに日本の『会社四季報』や『会社情報』に相当する直接取材に基づく株式情報誌がベトナムで発行されることが望ましい。

 3.国営企業の改革は本当に進んでいるのか。国営企業に対する株式投資は本当に安全なのか? 国営企業が株式を徐々に売却することで既存株主の利益は損なわれるのではないか?

 回答:国営企業の経営改革の進展度合いの評価は難しい。たとえば、日本の「ユニクロ」の委託加工の縫製を担当しているのはホーチミン市の国営企業である。この国営企業の経営者は英語も達者であり、経営感覚も優れているように思われた。またハノイの国営の機械部品製造会社は、コスト削減を怠っているように思われるし、その製品価格は市場競争的ではなかった。国営企業の経営状況や国際競争力は、一概に議論できない。ただし株式公開を進める国営企業は、ベトナム石油や輸出入銀行などの有力な大企業である。ベトナム政府は株式市場の健全育成を政策としているから、優良国営企業の上場を意図していると考えても間違いではない。

 4.中小企業の育成と株式市場の関係はどうなっているか?

 回答:ハノイの証券取引センターを中小企業向けの株式取引所にするという計画はあるが、それは未だ実現していない。中小企業向けの株式市場と言うと、株式上場基準を緩和したベンチャー企業向けの市場という印象があるが、ハノイでは国営企業のIPO株式(未上場株式)の店頭市場(OTC市場)を育成するという意図もあると聞いている。いずれにせよ、それらの発展は今後の課題である。中小企業の育成と言えば、ベンチャーファンドもしくはベンチャーキャピタルという方法も検討されてよい。

 5.ベトナムの株式を買う人と売る人はどんな人か?

 回答:ベトナム人富裕層の個人投資家、外国人個人投資家、外国投資ファンドが現在のプレーヤーと考えられる。保険会社などの機関投資家や国内外国企業の株式投資は寡聞である。討論者の原田先生から指摘があったように、2000年から株式取引所が開設され、その当初に株価が急上昇し、2001年~2003年は株価下落となった。これは、この時期に不動産価格の騰貴があったからである。株式投資か不動産投資かという選択が、ベトナム人の富裕層によってなされた。2005年に土地法が改正され、不動産価格の騰貴が収まったが、それに応じて余裕資金が株式市場に再流入し、最近の株価上昇となっている。

 6.ベトナム株式は本当に魅力的と言えるのか? そのように私は思わないが---。

 回答:株式投資にリスクは常に伴う。このリスクに対する感受性(敏感か鈍感か)によって株式投資の評価は定まる。私見では、ベトナムと日本における株式投資のリスクを比較すれば、ベトナムが低いとみなされる。わずか35銘柄の上場株式であるから、そのすべてを把握できる。すべての企業訪問も可能である。未上場株(IPO株)が上場しないというリスクも、日本よりもベトナムが低い。ベトナムは国営企業の上場を政府が後押しするからである。少なくとも私にとって、日本よりもベトナムにおいて株式投資は魅力的である。

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2006年6月11日 (日)

ベトナム情報(14-2):国民性の魅力

 どのような仕事をベトナムでするにしても、ベトナム人と無関係というわけにはいかない。ベトナム人の従業員や幹部職員の気持ちを把握することは、日本人経営者が最初に直面する課題であろう。

 また、取引相手が信用できるか、その発言や行動は何を意味しているか、その真意は何かといった問題は、相手が日本人の場合でも難問である。ましてやベトナム人となると、判断不能になることがある。もちろん日本人であろうが、ベトナム人であろうが、徐々に相手との関係を手探りで深めながら、その信用度や認識を微調整することは共通した最善の対応であると思われる。

 そのようにベトナム人に接するとしても、最初にベトナム人に関する予備知識が必要である。それを基準にして臨機応変・柔軟に対応する。この予備知識として、樋口健夫『ベトナムの微笑み:ハノイ暮らしはこんなに面白い』平凡社新書、1999年を参考にする。以下では、それを引用・参照して列挙する。樋口氏は、三井物産ハノイ事務所に1995年から2年間滞在された。その経験に基づいて同書が執筆された。

 (1)ベトナム人の賢さ、真面目さ、粘り、器用さ、人なつっこさ、愛想のよさ。これらによってベトナムを訪問する日本人は、誰もがベトナムを好きになってしまう。ベトナム人の性格には日本人に似た点が多い。イエス・ノーを明確に言わない性格、周囲への気配りなどもベトナム人と日本人は非常に似ている(10頁)。

 (2)ベトナム人の日本人に対する信頼は非常に高い(13頁)。

 (3)国民所得が低い低いと言われているベトナムで、濃厚な気遣いは、まったくの驚天動地であったが、「なるほど、これがベトナム式の考え方なんだ。外国人たちを心からもてなすのが、ベトナム人には当然となっている」。日本で言えば、どこか関西風のもてなしに近い(56ー57頁)。

 (4)ベトナムでの人間関係を考える上でのキーポイントは、人一人ひとりが持つ運不運、精神力、よいもの悪いものなどの影響因子を、真剣に考えることだ。明らかな迷信に関しても、知的なベトナム人の一般的な考え方を聞くと、「これらは確かに迷信です。私は信じてはいません。しかし、他人への配慮から、わざわざその逆を行う必要はありませんからね」(64ー65頁)。

 (5)どこの公団でも、同じ家族のメンバーが同じ職場にたくさんいて、驚くことがある。この国の最大の特徴ネポティズム(縁故主義)がここにあるように思った(75頁)。どこの事務所でも、新規の雇用を募集すると、既雇用者の遠い親戚筋の者が応募してくる。当然ながら、募集の情報も早く伝わるのだろうが、この辺りに情実が起こってしまう(75ー76頁)。

 (6)実質的には、ハノイでも大金持ちの部類に入るだろう。しかしそんなことは絶対に言わないし、そぶりも見せない。他人のねたみを恐れている(79頁)。

 (7)ベトナム人の第一の印象は優しさと微笑みだね。この人なら一生涯つきあっていこうかという程度の友達が何人かできたね、たった一年で(80ー81頁)。

 (8)店の奥には、おばあさんが座っていたが、何が起こったのかとゆっくりと顔を出した。おばあさんの目つきも非常にシャープで、驚くほど知的な顔つきをしている(84頁)。

 (9)物を売らないで、お金だけを受け取ることは、できないという。この商人魂に、私と同僚たちは、ひどく感心してしまった(89頁)。

 (10)本当の支援は、人生を踏み出すための最小限の支援に留めることだ(99頁)。

 (11)おかしくない時に、ニコニコ、ニヤニヤしてしまう。これがネガティブ笑いだ。アジア人全般に見られる現象だと思う。ベトナム人だけでなく、日本人も同じだ。日本人もはにかみ笑いとか苦笑いとか、苦境や悲しさの中でも笑ってしまったり、叱られている最中に笑顔を見せてしまう(101頁)。

 (12)間違いを犯してしまった時、ベトナム女性は素直な謝り方に慣れていない。謝ることによって相手からの責任の追及を停止するような方法に長けていない。社会主義国では謝ってしまうことは、責任を認め、実質的な罰を受けることに合意したと理解するのだろうか。必死になって自己弁護する(106頁)。

 (13)ベトナムでは、家の格とか身分とかがきわめて厳格だから、家族の反対に遭うと、結婚もできなくなる。ちょっと美人という程度では、結婚に絶対的に有利ということでもないらしい(107頁)。

 (14)ベトナムの伝統で、外国人と年寄りに対して優遇してくれる。だからベトナムが好きになっていく(129頁)。

 (15)ベトナムの女性は、京都の女性に似ている。愛想がよいようで、えらくしっかりしている。ベトナムの男性は京都の男性に似ている。ベトナムの女性に比べると、男性は線が細い。ベトナムの女性は強烈に強いのだ。ほとんどの男が尻に敷かれていると言えるのではないだろうか(131頁)。

 (16)ベトナムに住んで、ベトナム人の性格の中に、きわめて関西風の気性を見る事がある。気配り、商売感覚、げんかつぎ、粘りなど、ひょっとすると、日本人が持っている性格の多くは、太古の昔にベトナム辺りからたどり着いた人から受け継いだものではあるまいか(162頁)。

 (17)ベトナムは補修王国なのだ。何だって修理してしまう。長い封鎖された経済の中で、捨てられたものでも直して使えるものは何だって使ってきた。それがベトナムだ(182頁)。さて、絶対の名案。ベトナムをASEAN、いやアジアの修理センター化するというのはどうだろう。まさにリサイクルの時代。ベトナム的な生活の信条が再度必要とされているのではないだろうか。

 (18)「確かに器用なんだが、どうしてか、どこかに手を抜くんだね」。もっと正確に言えば、何とかなると、「これでいいや」とあきらめて、納得してしまうことである(188頁)。

 (19)ベトナムで何かを作ってもらう場合、最も重要なことは、タイミングを見計らって、造っているところに検査に行くことだ。手遅れにならない前に、できあがってしまわない前に、ほんの微妙な「直前」のタイミングに、検査に行く。これがコツなのだ。最後の手遅れになる前で、「ここのところは、こうしてね。これはだめだよ」と指摘しておくと、見事にその部分を上手く乗り越えて、処理して、こちらの希望に一応そってちゃんと完成させてくれる(190ー191頁)。

 以上、私見については後日に述べたいと思うが、おおむね樋口氏の指摘に賛成である。

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2006年6月10日 (土)

ベトナム情報(15ー1):政治体制

 中国・ベトナム・ラオス・キューバ・北朝鮮。現在の「社会主義国」として思い浮かべる国々である。共通しているのは「一党独裁」の政治体制ということである。そこで次に「社会主義国=一党独裁国=非民主主義国家」という図式が、大多数の人々の間で描かれるようである。そして、資本主義国=日本とは価値観が違うということになる。

 それではベトナムは非民主主義国家であるから、ベトナム人民は民主化運動を進めようとしているのか? 1988年のソウルオリンピックまでの韓国の軍事独裁政権に対する反体制運動が進展したり、1989年6月4日の中国の天安門事件のような市民・学生運動がベトナムで発生したりしたか?

 事実として、そのような大規模な反政府運動はベトナムで発生していない。それでは、ベトナム政府が強力に国民を弾圧しているのか? またはベトナム国民の民主主義に対する認識が低いのか? いずれの回答も否である。1986年の「ドイモイ政策」採択以来、市場経済化は進展し、報道の自由も拡大している。共産党大会や国会で政府政策について活発な議論が戦わされている。また、米国との戦争で大きな犠牲を払って独立を獲得したベトナム国民が、政治的に蒙昧であるはずがない。「自由と独立ほど尊いものはない」という「建国の父」ホーチミンの言葉は小学生でも知っている。

 では、ベトナムは社会主義国ではないのか? より正確には、その通りである。社会主義を志向する国なのである。このように考えれば、冒頭の「図式」は、旧ソ連や東欧の社会主義国を想定した先入観・思い込みということになる。どのようなものにもレッテルを貼って安心するのは人間の習いであるが、そのことによって一般に偏見や恣意性を助長してきたことも事実であろう。ベトナム=社会主義国ということで、せっかくのビジネス機会を逸するのは惜しいと私は思う。

 このようなことを、古田元夫『ベトナムの現在』、講談社現代新書、1996年は、社会主義ベトナム」と「ベトナム社会主義という表現(125頁)で区別している。私見では、前者は、旧ソ連をモデルにした社会主義国という既定の枠組みや概念に自国を適応させるのに対して、後者は、独自の社会主義国の建設に向けて比較的柔軟に発展を模索するとみなされる。1991年のソ連崩壊の後、前者から後者に転換が促進されたと考えられる。古田教授は、そういった転換が1995年のアセアン加盟に結びつくとみなされている。

 私見では、ベトナム社会主義であるからこそアセアン加盟が認められたのであり、社会主義ベトナムではアセアン加盟は困難であったように思う。他方、既存のアセアン加盟国であっても、ベトナムより部分的に自由が制限され非人道的な国は存在する。たとえば意外ではあるが、シンガポールである。2004年1月からは、医療用を除く「チューイングガム」の国内持込が禁止された。さらに「落書き」をすると鞭打ち刑である。

 このように考えれば、ベトナム社会主義は、そんなに息苦しい政治体制ではないという結論になる。 ベトナムの政治体制を検討するために、さらに古田教授の同書を次回に検討することにしよう。

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2006年6月 9日 (金)

恐るべき「外為法」:1980年までの日本の話

 流通科学大学では「オープンクラスウィーク」という制度がある。ほかの先生の講義を自由に聴講して、相互の講義方法の改善に役立てるという趣旨である。今回、国際金融論を担当されている片木進教授の講義を聴講した。片木教授は、日本銀行のご出身であり、1994年の私のベトナム訪問時には、ベトナム国立銀行・総裁顧問としてお話を伺った。その当時、まさかその後に同じ大学の同僚教授になろうとは想像もできなかった。

 片木教授の講義で印象に残ったことは、1980年まで続いた日本の外為法(外国為替及び外国貿易管理法)が、ベトナム以上に厳しい規制をもっていたことである。本来、前述の「オープンクラスウィーク」の講義公開では、講義内容についてはコメントしないことになっている。あくまでも講義方法に限定した改善を目的としている。しかし以下は、単純に講義を紹介するという趣旨であるから、片木教授にご容赦を賜りたい。

 1949年~1980年までの外為法では、外国との経済取引(外貨の両替)を原則として禁止しており、すべての外為取引は外国為替公認銀行を通して行われることになっていた。これは戦後日本の経済成長を支持するための措置であった。すなわち①「内外市場分断規制」(=為替管理)と②「業務分野規制」(=専門銀行制度・為銀主義)によって、日本市場は手厚く保護されてきたのである。

 企業や個人が、海外取引や国内外貨取引をする場合、すべて事前の許可が必要であり、これに違反すると、3年以下の懲役または100万円以下の罰金であった。このような厳しい法律が、1980年まで有効だったのである。その詳細に見れば、次の6点の禁止事項がある。

 ①外国銀行口座の保有禁止、②居住者間の外貨決済禁止、③居住者間の外貨売買禁止、④すべての外貨は2週間以内に為銀に売却、⑤外貨集中制度、⑥内外証券取引貸借取引の禁止。

 1999年当時のベトナムでは、ベトナムドンへの外貨の強制転換が進出企業にとって不評であった。特に委託加工生産の企業では、製品輸出の外貨を部品輸入のために使用してきたが、その外貨をベトナムドンに転換しなければならない。しかしこれは、上記の日本の旧外為法では、④に相当する規則である。それによれば、2週間以上の時間差のある輸出と輸入の取引の場合、わざわざ外貨を日本円に転換しなければならない。

 以上のように考えれば、ベトナム進出の日本企業がベトナム政府に苦情を述べた外国為替政策は、かつての日本政府の外為法の学習の成果とみなすことができる。ベトナム政府を批判することは、かつての日本政府を批判することである。もし当時、私がベトナム政府担当者なら、このように反論したと思う。

 日本が外為法を30年間以上も維持して、その間に国内産業の育成と外貨準備を蓄積してきた。これに対してベトナムは、本年が「ドイモイ」開始後20周年を経過したに過ぎず、WTO加盟で一層の市場開放を迫られている。もちろん現在では、前述のベトナムドンへの外貨の強制転換も廃止されている。

 これらの事情を考慮すれば、ベトナムは、市場開放の圧力の中で国内経済の育成のために大健闘しているとみなされる。日本の経済成長からの教訓をベトナムが学ぶことは有益であるが、日本のようにベトナムには時間的な余裕がない。日本が経済成長を優先してきた時に、ベトナムは国家の統一、民族の独立のために戦ってきたとみなされる。その時間はけっしてムダではないし、かえってベトナムの誇りである。しかし経済成長にとっては今日、市場開放の中で自国産業を育成するというベトナム固有の課題に直面している。これは日本も経験したことがない困難な課題と言わなければならない。 

 片木教授の講義のおかげで、以上のようなことを考える機会がもてた。感謝である。

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2006年6月 8日 (木)

学会報告の準備でお休み

 本日から土曜日までのブログは、6月10日(土曜日)の証券経済学会・全国大会(東京:獨協大学)報告準備のために、お休みです。後日に追記することにします。

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2006年6月 7日 (水)

グローリー商事(株):ニッチ市場における世界のトップ企業

 グローリー工業(株)グローリー商事(株)は、本年10月に合併を予定している。もともと両社は同一の会社であったが、1957年3月に分社化した。それが50年ぶりに再び統合されてグローリー(株)となる。これら2社は、釣り銭機・両替機・ICカード読み込み機・自動販売機・券売機・コインロッカーなどの分野において、これまでに国内および世界のトップ企業の地位を築き上げてきた。

 この両社合併の目的は、次の3点である。経営資源の集中化による経営効率の向上、メンテナンスにおける顧客対応のスピードアップ、コスト競争力の向上と不良在庫の削減。このような目的が達成されれば、米国・欧州・アジアといったグローバル市場における国際競争力の強化に貢献すると思われる。

 私見では、このような「商工合併」は、今までよりも円滑・迅速に顧客ニーズが商品開発に反映される効果が期待される。いわゆる持株会社を頂点とした「経営統合」ではなく、あえて「企業合併」を選択した意図は、この期待実現の早期化であると思われる。すなわち販売部門(顧客ニーズの把握)と研究開発部門(新製品の商品化)の相互交流が、経営統合よりも合併の形態において早期に実施可能であり、販売力・研究開発力が同時に強化される。経営統合よりも合併によって、より早期のシナジー効果が生まれると考えられる。

 私が担当する実学講義「21世紀の業界展望」では、グローリー商事(株)人事部人材開発グループリーダー・八津谷(やつたに)吉博氏をお招きして、以上のような同社の事業展開の現状と就職活動における心構えについて講義を賜った。

Dsc07506  グローリー商事は、2004年度に売上高1,445億5,600万円、経常利益95億9,100万円となり、過去最高を記録した。これは新札発行「特需」の影響であり、通常は平均して売上高1,000億円、経常利益30億円である。いわゆる機械製造業において同社は、お金(通貨)に関係する機器の販売という「ニッチ市場」に特化して、そこでの世界トップ企業となっている。

 (注:上記の写真をクリックすれば、より鮮明に大きくなります。これまでのどの講義も同じ構図ですから、次回は少し変化させてみようと思います。)

 同社の商品に含まれるコア技術(グローリー工業(株)が所有する主要な技術)は、①認識・識別技術、②メカトロ(機械の小型化・精密化を促進する)技術、③ソフトウェア(データ処理)技術である。これらのコア技術の蓄積を基礎として決済セキュリティの方面に今後は進出・発展の余地がある。

 合併後のグローリー(株)は、単なる通貨処理機械の製造・販売という事業活動ではなく、「決済手段における合理化と問題解決」が事業ドメイン(領域)とみなされる。そのことによって、同社の将来展望を見通すことができる。同社は、ニッチ市場における差別化戦略の成功事例として特筆に値するように思われる。今後は、グローバル企業としての一層の飛躍を同社に期待したい。なお、後半の講義における就職活動の心構えについては次の機会に紹介する。

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2006年6月 6日 (火)

ベトナム情報(14-1):なぜベトナムか?

 初めての私のベトナム訪問は1994年3月であった。約10日間でハノイ・ダナン・ホーチミン市を訪問した。当時、ベトナム直行便はなかったので日本から香港経由でハノイに到着した。この時の宿舎は「5月19日ゲストハウス」。商務省が経営する国営ホテルである。このホテルと同じ通りに現在は日本大使館や大宇ホテルが面しているが、当時は野原であった。なお5月19日は、ベトナム独立の祖・ホーチミンの誕生日である。

 同年8月~9月に、中国・広州からベトナム・カントーまで陸路3,350㎞を学生8名と一緒に40日間かけて走破した。これは、流通科学大学主催「ベトナム・中国華南流通調査隊」実行委員長としての参加であった。この総隊長は中内功氏(当時:大学理事長)、副隊長は寺本滉氏(当時:淡路屋・取締役社長)であった。最初の3月訪問は、この本調査の事前調査が目的であり、当時の(株)天津大栄・営業部長の三木さんに案内していただいた。

 この「流通調査隊」に参加した動機は、単にベトナムに対する興味であった。ベトナムはどうなっているか? 私の小学生時代、「戦争はいやだ」といった内容の作文を書いた。これは今も手元に残っている。1965年に北爆が開始され、1973年の「パリ和平交渉」の締結によって米軍が完全撤退した。ちょうど私が10歳から18歳である。最近の鈍感からは想像もつかない多感な青少年の時期をベトナム戦争と共に私は過ごした。

 1994年当時、ベトナムにおけるJETROハノイ事務所長は三浦有史氏であった。その後、朝倉さん・肥後さん・山田さん・石渡さんという歴代所長には今でもお世話になっている。またその頃、お菓子のコトブキ(本社:尼崎市)はベトナム進出企業の寵児であった。同社は、お菓子の最大手国営企業であるハイハ(ハノイ)とビナビコ(ホーチミン市)の2社と合弁企業を設立して操業中であった。日本からの進出企業が数社しかなかったので、同社を訪問・調査する企業は行列を成すほどであった。

 ハノイのハイハコトブキ社の鶴谷社長(当時)は、現在は私と同じ日越経済交流センターの副理事長である。お菓子作りの技術指導をされていた同社の鈴木さんは、その後に社長に就任された。そして現在は個人でPOEMEというケーキ店をハノイで経営されている。

 1994年の「流通調査隊」のベトナム側の受入機関は、商務省傘下のベトナム経済新聞社であった。ちょうど英文経済月刊誌Vietnam Economic Timesを創刊したばかりであった。同誌は、本年8月号の発刊で150号を迎える。同誌の編集長CAT氏は現在もご健在である。

 同社を紹介してくれたHAU氏は、ハノイ工科大学を卒業後にフランス留学を経験したエリートである。その後に国民経済大学で博士号を取得した。流通科学大学が主催した「アジア流通フォーラム2000」(2000年)ではベトナムのEコマースの現状と展望について報告した。このHAU氏とは家族ぐるみの交際が現在も続いている。私が最初に宿泊した「5月19日ゲストハウス」の当時は経営者であった。

 上記の「流通調査隊」はハノイで貿易大学、ダナンでダナン大学、ホーチミン市で経済大学おいて学生交流の機会をもった。ベトナム側の世話役であった貿易大学のDUNG先生は、その後に教育訓練省(日本の文部科学省に相当)の国際部長となった。現在は米国留学中であり、さらなる昇進が期待されている。また当時、ベトナム人学生として学生交流に参加したSON氏は、その後にベトナム外務省に入省し、さらに日本の国費留学生として京都大学大学院で経済学修士号を取得した。そして現在は東京のベトナム大使館に勤務している。ダナン大学で通訳をしていただいたNAM先生は、早稲田大学大学院・THO教授の弟さんであることをその後に知った。今年からNAM先生はダナン大学・工学部長に就任された。

 なお、ダナン大学では日本人学生を歓迎するために爆竹を鳴らしてくれた。1995年のテト(旧正月)以来、浪費と危険を防止するために爆竹は今日まで使用禁止となっている。ベトナムで最初で最後に聞いたの爆竹の音の記憶は鮮明である。ダナン大学の校庭であった。ダナン大学での学生交流の後、日本人の学生たちがダナンの海岸に自動車で向かい、その後ろをベトナム人学生たちがバイクや自転車で追いかけた。さわやかな自転車の動きと学生たちの笑顔は新鮮な印象であった。ベトナムに来てよかった。私にとって原型となるベトナムの心象である。

 以上のようなベトナム初訪問から毎年の訪問が続き、1998年にはハノイの国民経済大学で在外研修のために9ヶ月間を過ごした。その後もベトナム訪問が続き、総計50回以上のベトナム訪問を積み重ねてきた。おそらく今後もベトナムと私のつきあいは継続するであろう。それはなぜか? なぜベトナムなのか?

 その最大の理由は、単純に言って、ベトナムという国家そして国民に魅力を感じるからである。ベトナムの国民性が私を惹きつけるのである。これまでに数カ国の外国人研究者・留学生・研修生と交際してきた。それぞれ魅力的で親しみを感じ、今でも再会したい人々がいる。しかしベトナム人は別格のような気がする。おそらくベトナムと日本の間における国民性の親和感が、その理由であると思う。それを次回に検討してみよう。

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2006年6月 5日 (月)

ベトナム情報(13):WTO加盟に向けて米国と合意

 ベトナムのWTO(世界貿易機関)加盟について米国は基本的に認めることでベトナムと合意した(2006年5月15日新聞各紙)。二国間協定の合意は米国が最後であったから、これでベトナムのWTO加盟は、多角間協議を残すのみとなり、年内の加盟は確実になったと思われる。

 WTO加盟は、もう間もなく発足するベトナム新内閣の門出を祝福し、本年11月にハノイで開催されるAPEC首脳会議に花を添えることになるであろう。以下は、特に銀行業と証券についての合意内容の引用・紹介である。なお出所は、在ベトナム米国商業会議所の会員向けの英文資料(2006年5月31日付)である。 

 本日午後にHCM市において、ベトナムがWTO(世界貿易機関)に加盟申請の一部として要求されている双務的市場参入協定にベトナムと米国は公式に調印した。ベトナムのWTO加盟時に双務協定は完全に実施される。

 その加盟申請を満たすために、ベトナムの貿易制度をWTO規則に合致させる改革を詳説した加盟作業部会報告書加盟議定書について、ベトナムは多角間交渉を締結しなければならない。多角間協議の次のラウンドは7月に開催される。その間にベトナムは、WTO条項が加盟後に適用可能な立法の制定・施行を継続することになる。ベトナムのWTO関与に伴う便益を米国企業が受けるためには、ベトナムに対するジャクソン=バニク(Jackson-Vanik)修正条項の適応を解除し、ベトナム製品に対する恒久通常貿易関係(PNTR)関税取り扱いの賦与を認可するという議会の行動が必要である。

 さて実際、この協定には何があるのか? 以下(注:「サービス分野に関する双務的市場参入協定のデータ表」)は、ちょうど米国通商代表部によって公開された情報である。

 ベトナムがWTOメンバーになれば、米国のサービス提供業者は、市場参入の促進ベトナムの内国民待遇によって利益を受けるであろう。それは幅広い分野に及び、保険・銀行業・証券・情報通信・エネルギーサービス・速配サービス・機械建築サービス・専門的サービスが含まれる。さらにベトナムは、そのスケジュールの中で指定されたよりも寛大な参入の提供を考慮することに合意した。(注:以下では、とりあえず銀行業と証券についてのみ紹介する。)

 ベトナムは現在、少数株式所有持分49%に外国銀行を制限しているが、銀行支店を許可している。ベトナムは、外国証券会社が駐在員事務所を開設することだけを認めている。われわれのベトナムとのWTO双務的市場参入協定は、以下の改良を含んでいる。

 1. 200741日現在、米国と他の外国銀行は、100%外国資本の子会社を設立することができるであろう。ベトナムの法的主体として、これらの子会社は市場参入における非差別的な(「国内の」)取り扱いを受けるであろう。米国銀行は、100%外国投資の銀行子会社を設立し、法的主体から無制限の現地通貨預金を預かり、クレジットカードを発行することができるであろう。

 2.ベトナム加盟の日付現在、外国証券会社は、最高49%までの外国人所有によって合弁会社を開業できるであろう。5年後に外国人は、証券会社を100%所有できるであろうし、いくつかの証券活動(資産管理・顧問・決済・清算のサービス)のためにベトナムで事業拡張できるであろう。

 3.ベトナムで設立された外国投資会社は、他の金融サービスの副次的な分野すべてに渡って内国民待遇を受けるであろう。

 4.国境を越える市場参入の公約は、OECD諸国のそれらに匹敵するか、または優っているであろう。

 以上は、ベトナムと米国の双務的な協定である。日本とベトナムは最恵国待遇の協定に調印しているから、ベトナムにおいて米国企業が可能な活動は、日本企業でも同様に活動できる。

 ちょうど本日の朝刊各紙には、三井住友銀行がホーチミン支店を開設したという新聞広告が掲載されている。さらに日本の証券会社のベトナム進出も近い将来に実現するであろう。ベトナム直接投資について、これまでのトヨタ・ホンダ・ソニー・松下・富士通といった製造業の時代から、銀行・証券業が本格参入する時代に推移しつつあるとみなされる。このことは、さらなる製造業の進出を促進することになる。

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2006年6月 4日 (日)

株式会社ロック・フィールド:「子どもたちに夢を」建築家・安藤忠雄氏が語る

 6月3日(土)午後1時30分から、株式会社ロック・フィールドが主催する「元気の木保育室 開設記念フォーラム」が神戸市東灘区の本社で開催された。

 ロック・フィールドの社名は、創業者の岩田弘三社長の名前「いわた」の英語直訳に由来している。商品ブランド名では、「デパ地下」の総菜販売で圧倒的な人気を誇るRF/1、それに同社を急成長させた神戸コロッケなどが有名である。たとえばRF/1は、経営統合が予定されている大阪・梅田の阪急百貨店・阪神百貨店の双方の地下食料品街に店舗がある。わずか徒歩10分ほどに2店が隣接し、それぞれが繁盛店である。その人気ぶりが伺える。同社の詳細は次のHPを参照。http://www.rockfield.co.jp/index.html

 さて上記のフォーラムは、静岡工場に続いて神戸市本社に従業員向け保育所が本年4月に開設され、それを記念してDsc07494 開催された。テーマは「子どもたちに夢を」。ロック・フィールド社の静岡工場・本社工場そして両工場の保育所を設計した建築家・安藤忠雄氏(東京大学名誉教授)が基調講演された。静岡工場では最初3名の保育から始まったが、現在は40名を超えているそうである。(注:写真は、その保育所の外観である。クリックすると大きく鮮明に見えます。)

 さて、一般の会社内に従業員用の保育所が開設されたからと言って、それが何の意味があるか。

 このフォーラム開催の数日前に日本の出生率が1.25であることが報道された。日本の人口減少は加速されている。女性が働き、そして家庭をもって子どもを生み育てる。「仕事か家庭か?」、「仕事か子どもか?」といった選択肢は、これまで女性にとって二者択一の難問であったが、それは両立して解決できる課題である。それは矛盾ではなく、それを解消する手段を模索・推進することが社会進歩の過程であるとみなされる。ロック・フィールドの保育所開設は、そのひとつの試みである。これが、より多くの会社によって拡大されることが期待される。

 私見では、少子化対策を政府が本気で推進するなら、ロック・フィールドのような企業に対して政府・行政による支援が必要とされる。ただし今日の財政状況を考えれば、補助金の給付は難しいかもしれない。そこでたとえば、企業の社会貢献度の高低に応じた減税・増税があってもよい。ほとんどの日本企業は現在、従業員の成果を評価して報酬に反映させている。それと同様に、企業に対して一律に課税するのではなく、その社会貢献度に応じて政府が企業を評価・課税しても違和感はない。

 私見では、ロック・フィールドは、自社の社会貢献もしくは社会的責任として保育所を開設している。さらに同じ設置するなら、子どもにとって最良の環境を提供することを目的として、世界的に著名な安藤忠雄氏に設計を依頼しているのである。

 ただし株主利益の立場から、そんな資金があるなら、もっと配当金を増やせという意見があってもおかしくない。その反論として、保育所によって女性従業員の労働意欲は高まり、こういったフォーラムの開催を通して企業イメージの向上が期待できる。従業員満足の向上が顧客満足の向上にもなる。それが株主利益に連結する。

 さらに、より重要なことは、同社の商品が消費者の健康に直接関係する食品ということである。株主利益だけを追求する会社が、その商品の安全性を最優先するか疑問である。また、そういった会社の商品に消費者は安心感をもつことはできない。このような意味で、企業の社会貢献・社会的責任を果たすことが、従業員・顧客・株主の利益に貢献する社会が望まれる。このような将来の展望が、ロック・フィールドを通して垣間見ることができる。

 同社の「食の価値観」は、健康・安全・安心ということである。これを具現化したのが静岡工場であり、そして今回の保育所である。ますますの同社の進化と発展を期待したい。

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2006年6月 3日 (土)

ダイエー故・中内功氏を再見:山崎努主演TVドラマ『価格破壊』再放送始まる

 城山三郎『価格破壊』は、ダイエー創業者・故・中内功をモデルにした小説である。その小説に基づいた連載TV番組が、1981年にNHKで放映された。主演は山崎努。それに音楽は加古隆である。

 流通科学大学に勤務して以来、創設者・中内功氏と距離が近づいたこともあり、その再放送を期待していたのだが、数日前からケーブルTV(ホームドラマチャンネル256)で放映が始まった。その解説は次の通りである(『J:COM Magazine 北摂』2006年6月号、p.73)。

 「日本におけるスーパーマーケットの先駆けとなったダイエーの創業者・中内功をモデルにした城山三郎原作のビジネスドラマ。薬店・矢口商店のあるじ、矢口(山崎努)は消費者のために商品を安い値段で提供するための経営戦略を打ち立てた。結果、売り上げは急上昇、店は日本初のスーパーマーケットとなった。」

 全3回連続で1週間に繰り返し放映される。その時間は、火曜日:22:50~、木曜日:13:00~、金曜日:3:50~、土曜日:18:00~、日曜日:23:50~である。今から第1回目を見ようと思えば、6月4日(日曜日)23:50~、6月6日(火曜日)22:50~である。

 ダイエーはアローという名前に代わっているし、舞台は東京に設定されている。しかし「自分の店で売る値段を自分が決めてこそ商人である」というセリフは、山崎努が何度も繰り返し、その気迫は本物の故・中内氏に通じるものがある。

 松尾嘉代は奥さんの役である。故・中内氏の奥様とはラオス旅行でご一緒したが、ほとんど話す機会がないほどに物静かで温和な方であった。ドラマの中で松尾は夫を常に支援する強い妻であり、家庭を守る優しい母である。このような女性像は中内夫人に限らず、一般的であったように思われる。夫は仕事に打ち込み「企業戦士」となり、妻は「銃後」の家庭を守る。日本の高度経済成長の大きな胎動が始まろうとする時代、だれもが仕事に熱中した頃が想起される。私は、そういった父母を確かに見て育った。

 このドラマ(小説)の表題となっている『価格破壊』は、既存のメーカー中心の価格体系を破壊するという意味である。より一般的に言えば、既存の秩序や体制を破壊・改革することである。このような行為には、当然のように既得権をもっている人々からの強い抵抗や反発がある。それは次から次の「嫌がらせ」としてドラマでも紹介されている。このような状況に直面して、普通の人間なら精神的に参ってしまうのだろうが、山崎努の熱演で示されるように、ますますギラギラした闘争心を中内氏は燃やす。その原動力は、死線をさまよった戦争体験であると説明されている。言葉は悪いが確かに、一度死んだも同然の人間に怖いモノはない。

 どのような抵抗や妨害にも負けない気力の源泉は、上記のような個人体験に基づく精神力の強さだけでなく、社会進歩に即した経営理念を掲げているという信念から生まれてくると思われる。つまり故・中内氏がやろうとした「価格破壊」には社会的な「正当性」があった。だからこそ多数の消費者は中内氏やダイエーを支持した。「自分で売るモノの価格は自分で決める」という今日では当たり前の「オープン価格」が、その当時は異常であった。メーカーが定価を決定し、値崩れしないように安売りをメーカーが規制していた。これは当時でも独占禁止法違反であったが、メーカー⇒卸売り⇒メーカー系列小売店⇒消費者という既存の価格秩序を守るために小売り価格までメーカーが暗黙・非公式に統制していた。これは当然、消費者に対して高い販売価格を強いることを意味する。

 このドラマを見れば、何か新しい事業や改革を実行するためには、それを遂行する気力・信念・正当性・忍耐力・闘争心・非情・情熱・同志が必要であることが痛感できる。これは今日の「ベンチャー起業家」にも共通して必要な気質であるとみなされる。

 中内功を創設者とする流通科学大学の学生・卒業生・父兄・受験生にとって、これは必見のドラマである。晩年の中内氏からは、このドラマのようなギラギラした情熱を直接に感じることはなかったが、時たま見せる表情や口調にそれを感じないことはなかった。

 現代の改革者として評価されていたライブドアの堀江貴文氏、そして村上ファンドの村上世彰氏。改革者として登場したからには、抵抗や妨害の存在は当然に覚悟の上であろう。さらに彼らに気力や忍耐力があることも確実であろう。しかしながら、彼らの仕事に社会的な正当性はあるのか? 改革のための社会的な正当性がなければ、国民の支持を獲得できない。「利益を追求して何が悪い」といった利己的な正当性ではなく、社会的な正当性が広く国民に認められなければ、その改革は成就しないであろう。ダイエー故・中内氏が始めた「価格破壊」が今日までに達成されたことは、そのことをわれわれに教えてくれる。

 なお価格破壊が達成後に、それを支持してきた消費者からダイエーの商品が支持されなくなった。このように考えれば、流通業界において改革を推進する本当の主役は顧客・消費者とみなされる。企業は常に改革を進めなければ、顧客・消費者から見放されてしまう。あらゆる改革に挑戦することこそ企業経営の本質であり、その醍醐味であると私は思う。

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2006年6月 2日 (金)

企業の採用担当者は大学生の何を見ているか?:国分株式会社の場合

 食品卸売業界における日本のリーディングカンパニー国分株式会社小木曽泰治氏(人事総務部副部長・経営企画室副部長)から、新卒大学生の採用ポイントを伺った。それは、アビリティコンピテンスの両者をバランスよく兼ね備えた自主自立型の人材」ということである。アビリティとコンピテンスは、いずれも「能力」という意味であるが、それぞれを以下のように定義する。

 1.アビリティ(ability)とは、知識や技能のことである。通常に勉強して身につける。それは自分ひとりでも発揮できる能力である。また一般に大学で講義を受けて習得することができる。たとえばパソコンができる、英語ができる、資格を取る、経営戦略論やマーケティングを勉強したといった内容である。

 2.コンピテンス(competence)とは、社会的能力と呼ぶことができる。さまざまな経験・体験を通して身につける能力である。それは他人との関わりの中で習得され発揮される。たとえばコミュニケーション能力、リーダーシップ、協調性、向上心、積極性などと言われてきたことである。また、人に迷惑をかけないというような社会常識も含まれている。

 3.以上2つの能力が採用段階で必要であるが、アビリティは入社後の会社でも取得・向上させることができる能力である。これに対してコンピテンスを高めるのは容易でない。長期間に積み重ねた経験に基づいて体得される能力だからである。したがって採用では、コンピテンスの低い人は採用しないようにしている。それとは逆に、たとえば面接で言葉は詰まっても、学生生活が充実している学生は評価できる。大学時代にしかできない経験をしているからである。

 4.自主自立型の反対語は、他律依存型である。自主自立型の人間とは、周辺環境の変化に敏感であり、自分で判断・行動できる。自分の力不足を自覚している。給与以上の仕事をして満足感があるといったことである。

 5.以上、アビリティは勉強すること、コンピテンスは経験することである。かつてはアビリティよりもコンピテンスの高い学生が多かったが、最近はアビリティが向上しているが、コンピテンスが低下している。この両方について各学生がもっている具体的な事例が、就職活動における面接の「素材集」となりうる。私見では、自主自立性といった観点から、こういった素材を料理・味付けして、自分流のストーリーを作ることが面接の有力な対応策であると思われる。

 たとえば典型的な最近の学生は、大学で真面目に講義を受けて、その後は家の近くでバイトする。私見では、こういう学生が夏休みに、そのバイト資金を使って海外旅行やボランティア活動に自発的に参加するなどしてくれれば、自分だけの貴重な体験ができる。しかし多数の学生は、より以上にアルバイトに精を出す。やや意欲的な学生であっても親しい友人との安全で楽しい団体旅行の体験がせいぜいであるように思われる。自分だけのストーリーを作る努力を学生に期待したい。

 小木曽さんのお話を伺って、大学がなすべきビジネス教育の骨格が明示化されたようである。アビリティとコンピテンスの向上、そのために教員は直裁的な指示・指導ではなく、あくまでも学生の自発性・自立性を内面から引き出すように忍耐強く時間をかける。

 学問の道に誘うことが主要な目的であった伝統的な大学教育は、もはや過去の遺物になったのかもしれない。いや、そうではなく、その目的の達成は大学院大学に役割が委譲され、大学における学部教育の環境が変化したと考えるべきであろう。こういった環境変化に適応して進化する大学教員と、そうできなくて「化石化」する大学教員が生まれているような気がする。しかし化石であっても、それ自体は貴重な存在である。それが容認・受容されない場合、その組織は大学と呼ぶに値しないと私は思う。多様な教員から多様に学ぶことも、学生にとっては大学時代にしかできない体験だからである。

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2006年6月 1日 (木)

ベトナム情報(12):株式売買の現状

 先日に続いてThe Saigon Times,Weekly,May 20, 2006, p.27(「成長する株式市場:必要とされる経験」)の記事を抜粋・要約して、ベトナムの株式売買の特徴を指摘してみよう。

 (株価下落という:引用者注)混乱した欲求不満の個人投資家の中で、経験豊富な投資家や外国人投資家は、株式を購入するために冷静に最低価格で買い注文した。VNインデックスが最大下落した水曜日に、外国人投資家については、売りが17,510株しかなく、買いが374,600株であった。その買いは市場の売買成立総数の34%に達した。さらに同日に証券会社については、売りが26,880株であり、買いが70,500株であった。

 しかし市場の弱気モードは先週木曜日には消滅した。株式価格とVNインデックスは、再び上昇した。先週の市場乱高下について『トイチェ』新聞によれば、ホーチミン市証券取引センターのチャン・ダク・シン理事が、このような株価の上昇と下落は株式市場では普通のことであると述べている。「ベトナムの株式市場は発展の多くの余地がある」。

 シン氏によれば、間もなく市場は多数の新規証券を受け入れる。当局は、ベトナム最大の民間銀行サコムバンクの上場を認可する寸前である。サコムバンクの上場によって、額面価格約1兆9千億ドン(約1億1,875万ドル)の株式が追加されることになる。国家証券委員会は、市場で売買される額面株式の価値は本年末までに2倍になって7兆ドン(約4億3,750万ドル)を超えると推定している。

 市場が強気であっても弱気であっても、ベトナム人の新しい投資家は、先週の熱狂から1つか2つの教訓を学ぶべきである。経験をもったベトナム人個人投資家のみならず機関投資家と外国人投資家も、平穏のままに暴風雨から生き延びた。被害が最大の投資家は、無知で保守的な売買注文をする初心者の投資家であった。

 新しいベトナム人投資家の多数は、上場会社がどのようなものであり、どのように株式市場が機能しているかといった最も基礎的な知識さえ欠落していた。会社の財務諸表や報告書を読むことさえできない投資家もいた。上場会社の指標の慎重な検討ではなく、新人投資家・友人・家族といった非専門家の助言に基づいて多数の売買が注文された

 金融当局は、株式市場の基本情報をもった新進の株式投資家やそれに関心のある人々を育成するための活動を促進しなければならない。この状況に適応する新しい投資家を支援するために、いくつかの当局はゆっくりではあるが確実な試みに取り組んでいる。シン氏は次のように述べる。当局によって毎週セミナーが開催されるであろう。そこでは経験豊富な投資家が、株式取引の新人出席者に対して株式市場における自らの経験を話すようにする。

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