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2006年4月30日 (日)

大学経営の反省と教訓(続)

 一昨日、今日の受験生減少に伴う大学経営の苦境は「逆境でなく自業自得」と指摘した。しかし他方、個々の大学だけでは対応できない大学教育に対する政策・行政上の課題も指摘しなければならない。

 2005年度の文部科学省の学校基本調査によれば、「年度高卒者を含む大学・短大への進学率が初めて5割を超え、51.5%と過去最高となった。同様に、専修学校を含む高等教育機関への進学率は76.2%と、こちらも過去最高となった」。この数字は、大学の入学が容易になっていることを象徴的に示している。

 この大学進学率が上昇すれば、高校生人口が減少しても、受験生数は維持される。大学の定員割れもなくなり、大学経営は安泰と言える。そのためには、高等学校の義務教育化や大学生に対する奨学金の充実などが考えられる。また、社会人の大学や大学院の入学を奨励するための税金などの優遇施策も必要である。このような高等教育の大胆な改革が実施されれば、国民全体の教育水準が向上し、経済社会のグローバル化における日本の競争優位性に貢献すると思われる。これについて、おそらく反対意見は皆無であろう。

 それにもかかわらず、このような教育政策の改革を政府から聞いたこともない。また、大学関係者からも、こういった要望や提案の声を聞かない。その主要な理由は政府の財政赤字であると思われる。教育予算が十分に確保できないという懸念が、そういった政策を最初から断念させてiいるのかもしれない。しかし前述のように、国民全体の教育水準の向上こそが、これから将来に渡っての日本の経済成長の最も有力な保証ではないのか。

 たとえばベトナム国民の高い識字率が、ベトナムに対する直接投資の理由のひとつとして指摘されている。優秀な国民であるから、経済成長の可能性があるという論理である。先進国としての日本も同様である。日本にとって識字率は問題ないとしても、大学生の誤字脱字が増加していることなどを考慮すれば、日本語教育の充実が必要である。さらに英語を含めた国際コミュニケーション能力IT(情報技術)に習熟した豊富な人材が、これからのグローバル経済における国際競争力にとって不可欠であろう。国民全体の教育水準の向上は、多様な形態や経路を通して高等教育を提供する制度改革が求められる。

 現在、教育基本法の「改正」案が国会で審議されている。そこでは「愛国心」が今よりも強調されるようである。その目的が自国中心的・洗脳的な「愛国心」の養成であるとすれば、それは自由や民主主義と相容れない。小手先の「愛国心」の教育改革よりも、政治的・経済的・文化的に世界から尊敬される日本であれば、日本人として自然に日本を誇らしく思えるし、日本人でよかったと思える。このような気持ちが、日本を愛することの内容であろう。愛国心を観念・思想として教えるのではなく、誇りをもって愛せる国に日本をするための具体的な政策や施策が重要である。

 中国や韓国からの反日感情に対抗するための愛国心ではなく、中国や韓国から尊敬・敬愛される国にすることこそが、日本人として日本を誇りに思えることである。それでこそ日本人でよかったと思える。日本を愛することができる。そのためにも、大学を含めた高等教育機関の役割は一層重要となるであろう。なぜなら事実として、日本の大学の留学生の大多数が中国人と韓国人だからである。中国や韓国からの留学生が日本の留学に満足し、やはり日本人は尊敬できるという感情を抱けるような学生交流や教育体制の改革が求められる。

 以上のように、日本における高等教育の必要性は高まっているし、そのための教育改革が求められている。大学に課せられた本来の使命に正面から取り組むことが、現在の大学に期待されていることであると思う。それに対応している大学だけが存続できる。

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