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2006年2月 3日 (金)

実るほど頭を垂れる稲穂かな

 筆者の論文やブログに関する最も信用できる評価者は誰かと言えば、それは妻である。彼女は、ベトナムやラオスなどについて筆者が書く文体を「偉そうだ」と言う。大学教員は、偉そうだから値打ちがあり、それと同時にうっとうしく感じられるのかもしれない。このことを自覚することもあるが、常に「偉そう」という評価については素直に反省しなければならない。なぜなら何と言ってもベトナムについては、大先輩の学者やビジネス関係者や友好団体の方々が多数おられるからである。

 さらに筆者は、ベトナムやラオスを話題にして論文を執筆し、それを自らの研究業績としているのだから、それらの国々の人々に対して不遜であってはならない。感謝、感謝の気持ちである。ともかく「偉そうにする」と指摘されたら、自覚がないにしても直ちに謙虚に反省することである。

 妻の父すなわち岳父は、大手総合商社の取締役に就任した20年前に、「実るほど頭の垂れる稲穂かな」という表題の文章を社内報に執筆した。このことは今でも記憶に新しい。さらにその時に筆者自身も自戒しなければならないと思った。

 そうは言っても、けっして筆者が「実った」とは思っていない。人間、死の直前まで成長ではないか。しかし成長しながら衰退する。このような矛盾の存在が人間および生物ではないか。それが自然の摂理ではないか。そうであっても常に謙虚に自ら反省する。それと同時に、前向きに元気に当面の仕事に取り組む。

 大学院生の時の友人は現在、九州の有名大学の教授である。彼は「大学教員は、お坊さんのようである」と述べていた。この意味は、両者ともに生産活動に直接貢献していないが、それなりに尊敬(敬遠?)されているということである。そういう立場の人間は、謙虚であるからこそ尊敬されるのであって、仮に偉そうにしたら逆に批判や反感を招く。

 「実るほど頭の垂れる稲穂かな」。こういうセリフを言えるように、これから何かで「実る」ことを積極的に考えてみたいと思う。謙虚さを忘れずに。

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