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2006年1月27日 (金)

葬儀の意義を考える

 今、母の葬儀の準備をしている。今日が通夜、明日が葬儀である。基本方針として、参列者は親族と母を直接知っている人々に限定した。筆者の関係で言えば、勤務先の流通科学大学や地元の箕面船場ライオンズクラブから、葬儀参列についてご丁寧な問い合わせを頂戴したが、お断りすることにした。

 母のための葬儀と思っての判断であったが、もはや本人はこの世に不在である。「ご列席いただければ、母も喜ぶと思います」と言って、母の住所録を見ながら何人かの方々に電話をさしあげたが、遺体が喜ぶはずはない。

 一般によく言われるように、故人の生前における人間関係の「節目」もしくは「区切り」として、やはり葬儀は必要に思う。任意に常時会える人間が、2度と会えない人間に変化するのだから、その人間を取り巻く人間関係も変化する。この変化を各人が意識するための通過儀式として葬儀は意味があるのだろう。

 言い換えれば、ネットワークを構成する点が1つ消滅すれば、その位置に依存して影響はネットワーク全体に及ぶこともある。このネットワークの構造変換を明確に認識するために、何かの儀式が必要なのである。これが葬儀の意義と言えるのかもしれない。このような意義は、いわゆる「弔問外交」と言われるような葬儀にも当てはまる。故人が不在になった後のネットワーク再構築が目的である。

 昨年11月に流通科学大学学園長であった中内功氏の「学園葬」があった。その後の12月に日本チェーンストア協会などが主催する「お別れ会」が東京で開催された。葬儀は親族の方々で行われたのであるが、それだけでは中内さんを知る周囲の人々が落ち着かない。何かの儀式がないと、故人不在の状況を共有して認識できない。

 高齢化社会を迎えて「葬儀ビジネス」は有望な事業ではないかと思われる。サービス業の原点として「顧客の立場に立った葬儀」が理想だと思うのだが、葬儀は顧客自身が慣れていないので、どうしてよいかわからないのが現実である。顧客の立場が定まらないから、結局は業者の立場に主導される。今から自分の葬儀については遺言しておきたい。「故人の遺志」として「顧客の立場」を明確化しておきたいと思う。

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